シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ロー
シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ロー(Charles-Amédée-Philippe van Loo、1719年8月25日 - 1795年11月15日)は18世紀のフランスの画家である。
シャルル=アメデー=フィリップ・ ヴァン・ロー Charles-Amédée-Philippe van Loo | |
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アデライド・ラビーユ=ギアールによる肖像画 | |
生誕 |
1719年8月25日 イタリア、リーヴォリ |
死没 |
1795年11月15日 フランス、パリ |
略歴
編集北イタリアのリーヴォリで生まれた。18世紀に多くの画家を輩出したヴァン・ロー家の出身で、父親のジャン=バティスト・ヴァン・ローは肖像画家として有名であった。トリノやローマに父親と滞在し、父親から絵画を学んだ。
1738年にローマ賞を受賞し、南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに滞在した後、1745年にパリに移った。1747年に王立絵画彫刻アカデミーに入会した。同じ年に宮廷画家、ミシェル・ルブランの娘と結婚した。
1748年から、ベルリンのフリードリヒ2世の宮廷の宮廷画家となり、七年戦争(1754-17630)中の1758年にフランスへの帰国が許された。戦争が終わった後1863年に再びベルリンに移り、1769年にフランスに戻った。その後もプロイセンの宮廷からは年金を与えられた。プロイセンでは主に肖像画家として働いた。
1770年に王立絵画彫刻アカデミーの教授となった[1]。教えた学生にはポーランド出身のアレクサンドル・クシャルスキらがいる。
作品
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カメラ・オブスクラ (1764)
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ディアナに武器を取られたアモール
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ヴィルヘルミーネ・フォン・ヘッセン=カッセル
参考文献
編集- ^ Frédéric Chappey, Les professeurs de l'École des beaux-arts (1794-1873), dans Romantisme , 1996, no 93, p. 95-101.