シャテルロー
シャテルロー (Châtellerault)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ヴィエンヌ県のコミューン。
Châtellerault | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ヴィエンヌ県 |
郡 (arrondissement) | シャテルロー郡 |
小郡 (canton) | 3小郡庁所在地 |
INSEEコード | 86066 |
郵便番号 | 86100 |
市長(任期) |
ジャン=ピエール・アベラン (2008年-2014年) |
人口動態 | |
人口 |
31 537人 (2014年) |
人口密度 | 655人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯46度49分04秒 東経0度32分46秒 / 北緯46.817778度 東経0.546111度座標: 北緯46度49分04秒 東経0度32分46秒 / 北緯46.817778度 東経0.546111度 |
標高 |
平均:m 最低:42m 最高:134m |
面積 | 51 93km2 (5 193ha) |
地理
編集市内をヴィエンヌ川が流れ、クラン川、エンヴィーニュ川と合流する。
歴史
編集コミューンの名は、都市をつくったAiraudにちなむ。子爵の位を得て彼はこの地に城を築いた。城はラテン語でCastrum Airaldiと呼ばれ、やがてこの2つの言葉が合体して現在の名前となった。
- 936年 - Airaudの名が初めて記録に残された
- 952年 - ヴィエンヌ川とクラン川の合流地点、ヴィエンヌ川左岸に、Airaudの子孫が砦を築いた。
- 11世紀 - Airaudの一族が断絶し、町はラ・ロシュフコー家の領有となる。
- 1482年 - ラ・ロシュフコー家の領土がフランス王領に併合される。
- 1505年 - ブルボン公妃アンヌ・ド・フランス、シャテルロー領主となる。
- 1514年 - フランソワ1世、シャテルロー子爵位をシャテルロー公爵へ引き上げる。
- 1549年 - アンリ2世、シャテルロー公位をスコットランド貴族であるアラン伯ジェームズ・ハミルトンへ与える。
- 1609年 - 大シャテルロー橋(現在のアンリ4世橋)完成
- 1630年 - 黒死病流行
- 1900年 - 鉄筋コンクリート造のアーチ橋、シャテルロー橋がヴィエンヌ川に建設される[1]。
- 1940年6月22日 - ドイツ国防軍、シャテルローを占領。
経済
編集長く刃物と武器製造の伝統を持っていたが、現在は自動車産業や航空機設備産業へ転換された。
交通
編集- 高速道路 - A10(fr)
- 鉄道 - パリ・オルレアン鉄道のパリ=ボルドー区間にあたる、シャテルロー駅
姉妹都市
編集著名な出身者
編集- シルヴァン・シャヴァネル - 自転車選手
脚注
編集- ^ 本田泰寛、小林一郎、ミシェル・コット (2005年5月15日). “シャテルロー橋の建設に見る鉄筋コンクリート橋技術”. 土木史研究論文集. 2019年8月1日閲覧。
外部リンク
編集