シマユキ日本競走馬である。1955年秋の中山大障碍に優勝した。

シマユキ
1955年11月3日中山競馬場
品種 サラブレッド系種
性別
毛色 栗毛
生誕 1950年
セフト
安俊
母の父 月友
生国 日本の旗 日本北海道
生産者 浜田亀蔵
馬主 柴谷正雄
→小野仁助
調教師 松山吉三郎東京
競走成績
生涯成績 平地競走33戦5勝
障害競走38戦13勝
獲得賞金 660万2490円
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出自

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父はセフト、母はサラ系の安俊であり、4代母は血統不詳のミラである。半妹のセイシユンの仔にヒカルイマイがいる。

経歴

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大土塁飛越後。シマユキは右から2番目、ダイニカツフジは左端。
 
ゴール手前でシマユキ(右)を急追するダイニカツフジ

1952年、3歳の国営競馬登録時はワカトモという名だったが、結局3歳時は出走せず、シマユキに改名して4歳の1月に中山競馬場で初出走を行った。それから9ヶ月の間に平地で26戦して条件戦を3勝。東京優駿は33頭立ての19着、函館記念[1]は9頭立ての8着という成績だったが、他にオープンで2着が3回ある。10月3日の60万以下の競走で5頭立ての最下位となり、1ヶ月後の11月6日より障害競走に転じた。

障害では2戦目の東京2100mで初勝利。5戦目で2勝目を挙げ、その後はオープン競走に出走した。当時は地方競馬への馬資源の流出が著しく、多くの競走が5頭以下で、対戦相手も固定化していた。1954年6月までにオープンで4勝を挙げ、7月と8月は北海道で平地と障害に出走した[2]。秋は京都大障碍を目指し西下。近藤武夫を背に前哨戦に勝利したが、京都大障碍では5頭立ての4着に敗れた。

1955年に入ると見習い騎手の飯塚好次[3]が主戦騎手となり、年始から連勝したが、その後春シーズンは6戦すべてで連対を外した[4]。秋シーズンは馬主が柴谷正雄から小野仁助に交代し、平地競走に出走したが結果が出ず、再び障害に戻って3戦目で初めて中山大障碍に出走した。

中山大障碍では同年秋の京都大障碍に勝ち、前走の中山のオープンで66kgを背負って勝利した関西馬ダイニカツフジが圧倒的1番人気となり、それぞれ57kg、55kgと軽量のアヅマハタ、ブルレツドが2番人気、3番人気となった。シマユキはその中山のオープンで5kg軽い61kgでダイニカツフジに敗れ、今回は同じ63kgでの出走となったことを嫌われて6頭立ての最低人気での出走となった。

レースではまずダイニカツフジが逃げ、カネノボルが2番手で大竹柵を越えたが、大土塁前にカネノボルが先頭に立ち、そのまま引き離して大土塁ではカネノボル、ダイニカツフジ、ブルレツド、アヅマハタ、シマユキ、ミツオリオンズの順。向正面でアヅマハタが仕掛けてカネノボルに並んだが、三角をすぎて後方にいたシマユキが一気にスパートして直線手前で先頭に立った。一方ダイニカツフジは仕掛けを誤り直線に入った時点で最後方と苦しい展開になったが、坂を迎えて一気に加速し、完全に抜け出していたシマユキを強襲。3/4馬身差まで詰め寄ったが脚を余しての2着に終わった。シマユキの単勝は1550円で、大障碍としては戦後最大の大穴であった[5]

優勝したシマユキはその後中山で2戦したが斤量の壁にも阻まれて勝てず、翌1956年1月3日に登録を抹消して地方競馬に移籍。中央では実質3年でほぼ休みなく71戦に出走した[6]

競走成績

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1953年10月以前平地26戦3勝

年月日 競馬場 競走名 頭数 人気 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム 着差 1着馬/(2着馬) 斤量
1953 11.8 東京 サラ系障碍100万以下 (9月12日以降10万以下) 5 2人 2着 工藤 54 障2700 (良) 2.1/2身 ステーツ 55
11.23 東京 サラ系障碍100万以下 (9月12日以降10万以下) 3 1人 1着 工藤 54 障2100 (良) 2:26.8 1.1/4身 (トモニシキ) 51
11.28 東京 障碍特別 7 5人 3着 工藤 52 障2900 (良) 5身 モリマツ 63
12.5 中山 サラ系障碍150万以下 (9月14日以降40万以下) 5 2人 3着 工藤 56 障2600 (稍重) 2.1/2身 ボネアーキング 52
12.27 中山 サラ系障碍20万以下 5 1人 1着 工藤 56 障2050 (良) 2:19.4 7身 (ハルナー) 53.5
1954 1.3 中山 サラ系障碍 5 5人 2着 工藤 56 障2600 (不) クビ モリマツ 65
1.9 中山 障碍特別 7 2人 1着 工藤 57 障2850 (稍重) 3:09.2 9身 (モナコオー) 59
3.13 東京 サラ系障碍特ハン 5 1人 1着 工藤 61 障2700 (稍重) 3:11.8 クビ (メリージヤパン) 57
3.26 東京 障碍特別 5 4人 5着 工藤 64 障2900 (良) 大差 メリージヤパン 57
4.4 中山 サラ系障碍 3 1人 1着 工藤 58 障2600 (良) 2:52.6 2.1/2身 (メリージヤパン) 59
4.17 中山 障碍特別 4 1人 4着 工藤 64 障2850 (良) メリージヤパン 60
4.29 東京 サラ系障碍 3 2人 2着 竹部 △57 障2700 (良) 2.1/2身 モリマツ 67
5.2 東京 サラ系障碍 3 2人 2着 諏訪 ▲56 障2700 (良) 3身 メリージヤパン 60
5.8 東京 障碍特別 3 3人 2着 高橋 61 障2900 (重) 2.1/2身 モリマツ 63
5.22 東京 サラ系障碍 4 1人 1着 高橋 59 障2700 (不) 3:13.8 3/4身 (ギンザクラ) 56
6.12 中山 サラ系障碍 6 2人 6着 小森園 60 障2600 (良) メリージヤパン 63
6.26 中山 サラ系障碍 5 3人 1着 諏訪 △58 障2600 (不) 2:59.8 (アラワシ) 60
7.17 札幌 サラ系障碍 3 1人 1着 柏谷 ▲57 障砂2400 (良) 2:42.4 (アラワシ) 57
7.31 札幌 サラ系障碍ハンデキヤツプ 5 1人 3着 柏谷 61 障砂2400 (稍重) 3.1/2身 モナコオー 58
8.7 函館 サラ系30万以下 7 1人 1着 保田 56 芝1800 (良) 1:56.4 (オサムサン) 54
8.22 函館 障碍特別 5 1人 4着 工藤 61 障2600 (良) 7.1/2身 ミツオリオンズ 54
9.25 京都 サラ系障碍 4 1人 1着 近藤 62 障2470 (稍重) 2:46.0 クビ (ミスツルツネ) 54.5
10.10 京都 京都大障碍 5 3人 4着 近藤 61 障3100 (良) 7.3/4身 ヨシミノリ 58
10.23 阪神 サラ系障碍 5 2人 2着 近藤 63 障2600 (良) 2.1/2身 タカクモ 56
10.30 阪神 サラ系障碍 6 1人 1着 近藤 63 障2600 (良) 2:54.2 7身 (ミツノハナ) 58
11.3 阪神 障碍特別 4 1人 3着 近藤 63 障3000 (良) 12身 タカクモ 60
12.5 中山 サラ系4歳以上80万以下 6 3人 2着 野平 57 芝1800 (重) アタマ カーネーシヨン 53.5
12.12 中山 サラ系5歳以上120万以下 7 2人 1着 大沢 ▲54 芝2000 (稍重) 1.1/4身 (アラワシ) 57
12.25 中山 サラ系勝入ハンデ (120万以下) 10 3人 3着[1] 野平 57 芝1800 (良) 3.1/4身 ハクゲキ 58
1955 1.3 中山 サラ系障碍 5 3人 1着 飯塚 ▲61 障2600 (良) 2:54.6 4身 (デリラ) 59
1.15 中山 障碍特別 4 3人 1着 飯塚 64 障2600 (良) 2:53.0 1/2身 (ダイワ) 58
3.5 東京 サラ系障碍 5 2人 4着 飯塚 ▲60 障2100 (良) 9身 モナコオー 64
3.12 東京 サラ系障碍 5 3人 4着 飯塚 ▲60 障2700 (良) 5.3/4身 ダイニカツフジ 62
3.27 東京 サラ系障碍 6 3人 3着 飯塚 ▲60 障2700 (重) 2.3/4身 カクセイ 57
4.3 中山 サラ系障碍 9 4人 3着 飯塚 ▲60 障2600 (不) クビ+2身 ダイコロンブス 58
4.17 中山 サラ系障碍 5 1人 落馬中止 飯塚 ▲60 障2050 (不) ミツオリオンズ 57
6.5 東京 サラ系障碍 6 3人 3着 飯塚 ▲60 障2100 (良) 12.1/2身 モナコオー 65
9.3 東京 サラ系 5 5人 5着 飯塚 △53 芝1600 (稍重) 大差 オートキツ 58
9.17 東京 サラ系 11 11人 着外 飯塚 △53 芝1600 (良) メイヂヒカリ 58
10.2 中山 サラ系 6 6人 5着 飯塚 △53 芝1700 (重) 大差 オートキツ 59
10.22 中山 サラ系障碍 5 4人 3着 飯塚 △61 障2600 (良) クビ+6身 ダイニカツフジ 66
10.29 中山 サラ系障碍 6 2人 2着 飯塚 △61 障2600 (不) 3.1/2身 リツツフオラ 56
11.3 中山 中山大障碍 6 6人 1着 飯塚 63 障4100 (良) 4:47.2 3/4身 (ダイニカツフジ) 63
12.4 中山 サラ系障碍 5 3人 3着 飯塚 ☆65 障2600 (良) 大差 カネノボル 60
12.24 中山 サラ系障碍 5 1人 2着 飯塚 ☆65 障2600 (良) 2身 アポイオー 56
  • 1 キタノイヅミと同着

脚注

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  1. ^ 当時は重賞ではない。
  2. ^ 当時は函館競馬場札幌競馬場でも置障害で障害競走を行っていた。なお、函館の障害馬場は戦災で失われており、札幌はすべて砂馬場である。
  3. ^ 後に調教師としてライスシャワーを管理する。
  4. ^ 3kg減の飯塚が騎乗して60kgで出走することが多かったが、当時は障害競走でも56kg以下の斤量が珍しくなかった。
  5. ^ シマユキ以前に単勝が10倍を超えたのは配当200円(10倍)に特別給付金がついた1941年春のライハルオンのみ。
  6. ^ 当時2月は中京のみで関東での開催がないため、実質休んだのは1955年の6月から9月までの3か月間だけである。

参考文献

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  • 日本中央競馬会 『優駿』 1955年11、12月号

外部リンク

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