シェベルガーン
シェベルガーン(パシュトゥー語,ペルシア語: شبرغان)はアフガニスタン北部のジョウズジャーン州の州都である。2015年の人口は約17.6万人。[2] 面積は73.35km2で、4つの区に分かれる。[3][4] シェベルガーンという地名は「シャープールの市」を意味するシャープールガンからきている。シャープールはサーサーン朝ペルシアの王の名である。
Sheberghan شبرغان | |
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市 | |
北緯36度39分54秒 東経65度45分07.2秒 / 北緯36.66500度 東経65.752000度座標: 北緯36度39分54秒 東経65度45分07.2秒 / 北緯36.66500度 東経65.752000度 | |
国 | アフガニスタン |
州 | ジョウズジャーン州 |
標高 | 250 m |
人口 | |
• 合計 | 175,599人 |
等時帯 | UTC+4:30 (Afghanistan Standard Time) |
地理
編集シェベルガーンはサフィド川沿いにあり、マザーリシャリーフの130km西に位置する。シェベルガーン空港はシェベルガーンとアクチャの間にある。バクトリア北東部の要だった。バルフからヘラートを結ぶ主要道に面し、アムダリヤ川北部の主要道を支配し、南にはサレプルへの道もあった。イェムシ・テペ砦はシェベルガーンの北東5kmに位置する。
民族
編集シェベルガーンは国内最大のウズベク人人口を抱える。ウズベク語を母語とする者が多数派だが、シェベルガーンは多言語社会である。多数のタジク人やハザーラ人、パシュトゥン人、アラブ人が居住している。シェベルガーンのアラブ人は皆ペルシア語を話すが、アラブ人の自己認識を持っている。彼らは遥か昔から住んでいた。東のマザーリシャリーフやホルム、クンドゥーズにも同様のアラブ人が暮らす。彼らの祖先は7世紀〜8世紀に中央アジアに移住して来た。[5]
歴史
編集シェベルガーンはかつてシルクロード沿いで繁栄した。
13世紀、マルコ・ポーロがシェベルガーンを訪れ、とても甘いメロンについて記した。
1856年、J. P. Ferrierは「シェベルガーンには1.2万の魂が有る。ウズベク人は昔多数派だった。」と述べた。[6]
1873年、イギリスとロシア帝国の国境画定によって、シェベルガーンを首都とするウズベク・ハン国はアフガニスタンに併合された。
1978年、ソ連の人類学者がティッリャ・テペ(バクトリアの黄金)を発掘した。シェベルガーンはクシャーナ朝の5つの州の1つと考えられた。[7]
2001年12月、ダシュトゥ・イ・レイリの虐殺が起きた。アメリカ軍がアフガニスタンを侵略中に、250〜3000人のタリバン囚人がアメリカ軍と北部同盟の戦車に射殺された。クンドゥーズからシェベルガーン収容所に囚人を移動中だった。
イスラム共和国の体制下ではウズベク人のラシッド・ドスタム将軍とタジク人のアタ・モハマド・ヌールが、シェベルガーンを中心にアフガニスタン北部の支配権を賭けて争っていた。
2021年7月から8月6日にかけて、政府軍・ドスタム派軍閥の連合軍とターリバーンの間で支配権をめぐって大規模な衝突が発生し、ターリバーンが制圧した[8]。
土地利用
編集シェベルガーンはアフガニスタン北部の交易と交通の中心である。[9]
気候
編集シェベルガーンはステップ気候(BSh)で、暑い夏と寒い冬が来る。1〜3月は穏やかに雨が降るが、残りの9ヶ月は夏を中心に乾燥する。[12]
Sheberghanの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 22.4 (72.3) |
24.2 (75.6) |
30.9 (87.6) |
35.4 (95.7) |
41.5 (106.7) |
46.0 (114.8) |
47.5 (117.5) |
44.3 (111.7) |
40.6 (105.1) |
36.4 (97.5) |
30.6 (87.1) |
25.6 (78.1) |
47.5 (117.5) |
平均最高気温 °C (°F) | 6.8 (44.2) |
9.3 (48.7) |
15.8 (60.4) |
23.7 (74.7) |
31.1 (88) |
36.9 (98.4) |
38.9 (102) |
37.2 (99) |
32.0 (89.6) |
24.0 (75.2) |
16.7 (62.1) |
10.6 (51.1) |
23.58 (74.45) |
日平均気温 °C (°F) | 2.0 (35.6) |
4.9 (40.8) |
10.5 (50.9) |
17.3 (63.1) |
23.2 (73.8) |
28.8 (83.8) |
31.0 (87.8) |
28.6 (83.5) |
23.1 (73.6) |
16.4 (61.5) |
10.0 (50) |
5.4 (41.7) |
16.77 (62.18) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.3 (29.7) |
1.3 (34.3) |
5.7 (42.3) |
11.5 (52.7) |
15.1 (59.2) |
19.4 (66.9) |
22.2 (72) |
20.0 (68) |
15.1 (59.2) |
9.8 (49.6) |
4.6 (40.3) |
1.5 (34.7) |
10.41 (50.74) |
最低気温記録 °C (°F) | −20.5 (−4.9) |
−25.7 (−14.3) |
−9.4 (15.1) |
−7.5 (18.5) |
5.3 (41.5) |
8.5 (47.3) |
12.9 (55.2) |
11.6 (52.9) |
4.3 (39.7) |
−2.4 (27.7) |
−8.5 (16.7) |
−15 (5) |
−25.7 (−14.3) |
降水量 mm (inch) | 42.3 (1.665) |
44.3 (1.744) |
56.4 (2.22) |
25.9 (1.02) |
11.2 (0.441) |
0.2 (0.008) |
0.0 (0) |
0.0 (0) |
0.2 (0.008) |
6.6 (0.26) |
13.6 (0.535) |
29.8 (1.173) |
230.5 (9.074) |
平均降雨日数 | 5 | 6 | 9 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 4 | 38 |
平均降雪日数 | 5 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 12 |
% 湿度 | 78 | 76 | 71 | 65 | 47 | 34 | 31 | 32 | 35 | 46 | 61 | 74 | 54.2 |
平均月間日照時間 | 115.3 | 124.1 | 162.3 | 198.2 | 297.9 | 364.3 | 365.9 | 346.1 | 304.6 | 242.9 | 175.8 | 125.7 | 2,823.1 |
出典:NOAA (1964-1983) [13] |
経済
編集シェベルガーンの周辺には灌漑農地が広がる。1967年、ソ連の助けを得て、シェベルガーンの15km東のホワジャ・ゴゲラクで天然ガスが発見された。670億m3が埋まっていると推定されている。また、ソ連のケレフトまで100kmの油送管が設置された。この他に、ゾムラド・サイ油田やシェベルガーン製油所も有り、アフガニスタンの重要なエネルギー拠点になっている。
脚注
編集- ^ “Jawzjan”. 2016年5月11日閲覧。
- ^ a b “The State of Afghan Cities report2015”. 2016年5月11日閲覧。
- ^ “The State of Afghan Cities report 2015”. 2016年5月11日閲覧。
- ^ “The State of Afghan Cities report 2015”. 2016年5月11日閲覧。
- ^ Barfield (1982), p. ?
- ^ Ferrier (1856), p. 202.
- ^ Hill (2009), pp. 29, 332-341.
- ^ “Taliban captures second Afghan provincial capital in 24 hours” (英語). www.aljazeera.com. 2022年11月11日閲覧。
- ^ “The State of Afghan Cities report 2015”. 2016年5月11日閲覧。
- ^ “The State of Afghan Cities report 2015”. 2016年5月11日閲覧。
- ^ “The State of Afghan Cities report 2015”. 2016年5月11日閲覧。
- ^ “Climate: شبرغان - Climate graph, Temperature graph, Climate table”. Climate-Data.org. 3 September閲覧。
- ^ “Sheberghan Climate Normals 1964-1983”. National Oceanic and Atmospheric Administration. December 25, 2012閲覧。[リンク切れ] [リンク切れ]
参考資料
編集- Barfield, Thomas J. (1982). The Central Asian Arabs of Afghanistan: Pastoral Nomadism in Transition.
- Dupree, Nancy Hatch. (1977). An Historical Guide to Afghanistan. 1st Edition: 1970. 2nd Edition (1977). Revised and Enlarged. Afghan Tourist Organization, 1977. Chapter 21 "Maimana to Mazar-i-Sharif."
- Ferrier, J. P. (1856), Caravan Journeys and Wanderings in Persia, Afghanistan, Turkistan and Beloochistan. John Murray, London.
- Hill, John E. (2009). Through the Jade Gate to Rome: A Study of the Silk Routes during the Later Han Dynasty, 1st to 2nd Centuries CE. BookSurge, Charleston, South Carolina. ISBN 978-1-4392-2134-1.
- Leriche, Pierre. (2007). "Bactria: Land of a Thousand Cities." In: After Alexander: Central Asia before Islam. Eds. Georgina Hermann and Joe Cribb. (2007). Proceedings of the British Academy 133. Oxford University Press.
- Sarianidi, Victor. (1985). The Golden Hoard of Bactria: From the Tillya-tepe Excavations in Northern Afghanistan. Harry N. Abrams, New York.