ザルマイ・ラスール
ザルマイ・ラスール(パシュトー語: زلمی رسول、Zalmai Rassoul、1944年[1] - )は、アフガニスタンの政治家。元外務大臣。
ザルマイ・ラスール زلمی رسول | |
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ザルマイ・ラスール(2011年9月) | |
生年月日 | 1944年(79 - 80歳) |
出生地 | アフガニスタン王国、 カーブル |
出身校 | パリ医科大学 |
前職 | 外務大臣 |
内閣 | ハーミド・カルザイ |
在任期間 | 2010年1月18日 - 2013年10月5日 |
経歴
編集カーブル市出身。父は、ムハンマド・ダーウード政権の秘密警察長官だった。カーブルのフランス語貴族学校「イステクラール」を卒業し、パリの医科大学で博士号を取得した[2]。
大学卒業後、パリの科学研究所、サウジアラビア厚生省に勤務した[2]。1980年代、在仏アフガン人移民のための新聞社を設立した。
ターリバーン政権の崩壊までは、ザーヒル・シャー元国王の官房長を代行していた。ハーミド・カルザイを首班とする暫定政権樹立後、運輸・民間航空相に任命。後に国家安全保障担当大統領顧問となり、安全保障会議書記を務めた。ザルマイ・ラスールは、大統領顧問としてカルザイの外遊のほぼ全てに随行した。
2010年1月16日、議会により拒否されたランギーン・ダードファル・スパンターに代わり外務大臣に推薦され、1月18日に承認された。
2014年アフガニスタン大統領選挙に立候補したが、第一回投票で3位に終わり落選した。
人物
編集パシュトゥー語、ダリー語、アラビア語、英語、フランス語、イタリア語を話す[2]。
脚注
編集- ^ “アフガニスタン・イスラム共和国 閣僚略歴”. The Embassy of Afghanistan in Tokyo. 2012年9月9日閲覧。
- ^ a b c “Afghan News January 2010”. Embassy of Afghanistan in Japan. 2012年11月26日閲覧。
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