サマセット・バトラー (第3代キャリック伯爵)
第3代キャリック伯爵サマセット・リチャード・バトラー(英語: Somerset Richard Butler, 3rd Earl of Carrick、1779年9月28日 – 1838年2月4日)は、アイルランド貴族、政治家。1819年から1838年までアイルランド貴族代表議員を務めた[1]。
生涯
編集第2代キャリック伯爵ヘンリー・トマス・バトラーとサラ・テイラー(Sarah Taylor、1756年頃 – 1841年4月4日[2]/8月14日[1]、エドワード・テイラーの娘)の息子として、1779年9月28日に生まれた[1]。
1812年にキルケニー県長官を務め、1813年7月20日に父が死去するとキャリック伯爵の爵位を継承した[1]。
家族
編集1811年9月1日、アン・ウィン(Anne Wynne、1829年10月22日没、オーウェン・ウィンの娘)と結婚[1]、2女をもうけた[2]。
- サラ・ジュリアナ(1812年7月29日 – 1905年4月28日) - 1832年12月8日、第3代クランカーティ伯爵ウィリアム・トマス・ル・プア・トレンチと結婚、子供あり
- アン・マーガレット(1901年5月15日没) - 1861年2月7日、ジョージ・ホワイトロック・ホワイトロック・ロイド(George Whitelocke Whitelocke Lloyd)と結婚
1833年2月12日、ルーシー・フレンチ(Lucy French、1800年頃 – 1884年10月13日、アーサー・フレンチの娘)と再婚[1]、2男1女をもうけた[2]。
- ヘンリー・トマス(1834年2月19日 – 1846年4月16日) - 第4代キャリック伯爵[1]
- サマセット・アーサー(1835年1月30日 – 1901年12月22日) - 第5代キャリック伯爵[1]
- ルーシー・マリア(1837年11月19日 – 1896年7月25日) - 1863年3月19日、第6代マッシー男爵ジョン・マッシーと結婚、子供あり[3]
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 61.
- ^ a b c "Carrick, Earl of (I, 1748)". Cracroft's Peerage (英語). 30 June 2005. 2019年11月9日閲覧。
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1932). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Lindley to Moate). Vol. 8 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 550.
アイルランドの爵位 | ||
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先代 ヘンリー・トマス・バトラー |
キャリック伯爵 1813年 – 1838年 |
次代 ヘンリー・トマス・バトラー |