サファル
ヒジュラ暦における2番目の月
サファル(صفر)とは、ヒジュラ暦の第2月。ムハッラム月の次でラビー・ウル・アッワル月の前。ジャーヒリーヤ時代には「ナージル」(ناجر)と言った。
صفر(Ṣ-F-R)という語根は、3つの基本的意味を持っている。1つ目は「口笛を吹く、シッと言う、さえずる」、2つ目は「黄色い、血色が悪い」、3つ目は「無、空虚、欠けている、ゼロ」である。この名は、「黄色」か「空虚」が語源になっていると思われる。
語源
編集幾人かは「人々が旅行にいく時メッカが『カラになって』(إصفار)してしまう(つまりいなくなってしまう)」から名付けられたのだと言う。また「この月をサファルと呼ぶのは、彼らが部族を侵略して、持ち物が『ゼロ』になった人を残す(つまり持ち物を強奪されて自分のものでなくなる)」からだとも言われている。[1]
期間
編集ヒジュラ暦は太陰暦であり、新月の欠け始めが確認されてから始まる。ヒジュラ暦は純粋な太陰暦のため、太陽暦よりも11日から12日ほど短く、サファルの季節は年によって異なる。下記はサファルの最初の日と最後の日の予定である。(サウジアラビアのUmm al-Quraカレンダーに基づく。[2]))
ヒジュラ暦 | 最初の日 (西暦) | 最後の日 (西暦) |
---|---|---|
1431年 | 2010年1月16日 | 2010年2月14日 |
1432年 | 2011年1月5日 | 2011年2月3日 |
1433年 | 2011年12月26日 | 2012年1月23日 |
1434年 | 2012年12月14日 | 2013年1月12日 |
1435年 | 2013年12月4日 | 2014年1月1日 |
1436年 | 2014年11月23日 | 2014年12月22日 |
1437年 | 2015年11月13日 | 2015年12月11日 |
イスラームの出来事
編集- サファル月1日 カルバラーの戦いの捕虜がシリアのヤズィードの宮殿に入る
- サファル月6日 カルバラーの戦いの捕虜でフサイン・イブン・アリーの末娘であるスカイナ・ビント・フサインが殉教
- サファル月7日 12イマームのムーサー・カーズィム誕生
- サファル月9日 ナフラワーンの戦いでアリーがハワーリジュ派に勝利
- サファル月13日 カルバラーの戦いの捕虜でフサイン・イブン・アリーの末娘であるスカイナ・ビント・フサインの死
- サファル月17日 12イマームのアリー・リダーの死去
- サファル月20日 アマドゥ・バンバの流刑(トゥーバのグラン・マッガル
- サファル月28日 フサイン・イブン・アリーの死
脚注
編集- ^ انظر لسان العرب لابن منظور ج/4 ص/462-463
- ^ Umm al-Qura calendar of Saudi Arabia