ゴルフバトルロイヤルGOLF BATTLE ROYAL)は、毎年11月第3週に開催されている男子プロゴルフインターナショナルツアー ダンロップフェニックストーナメント」(以下:ダンロップフェニックス)の関連イベントとして1987年から2001年まで行われたテレビマッチである。なお、2002年以降は「京セラミタ[1]・フェニックスチャレンジ」と名称を変更して行われている。

舞台は「ダンロップフェニックス」と同じ宮崎市にあるフェニックスカントリークラブだが、ここではトーナメントでは使用しない「日南コース」で行われた。また、1993年トム・ワトソンが設計・監修し、その年にオープンした「トム・ワトソンゴルフコース」で行われた。更に、末期はトーナメントで使用する「住吉コース」及び「高千穂コース」でも行われていた。

試合の形態は、日本国外からの有力選手7~8名に日本代表として青木功を加えたメンバー[2] で1ホールにつきそのホールで一番悪いスコアを出した1名が脱落するサバイバルマッチである。但し脱落しても順位による賞金をもらうことが出来る。一番悪いスコアを出した選手が複数出た場合は、バンカーからのアプローチやパッティングなどのプレーオフを行い敗者を確定させる。そして、最終的に残った2名で優勝者を決定するというものだった。優勝者には優勝賞金400~500万円前後(年によって変動あり)が贈呈された。1996年以降は2人1組のペア・マッチで行われ、試合形態もこれまでのものとは大きく変化した(ちなみに1997年は男女プロによるペア・マッチで行われた)。

普段のトーナメントとは違い、最初のうちは和気あいあいとしてやっていたものが、終盤に近づくにつれ真剣勝負になってしまうという特徴があった。またプレイヤー個々のスタイルがより前面に出るため、ギャラリーにはトーナメントとは別の意味で見応えのあるイベントであった。

この「ゴルフバトルロイヤル」の模様は毎年12月下旬~1月上旬[3] にかけて毎日放送(MBS)制作でJNN基幹局宮崎放送(MRT)を加えて放送された。また北海道放送(HBC)では1994年までスポンサーをローカルスポンサーに差し替えて放送していた。

脚注

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  1. ^ 京セラミタの冠が付いたのは2006年からである。
  2. ^ 他に中嶋常幸渡辺司加瀬秀樹などが参加したことがある一方で、青木が参加していない年もある。
  3. ^ 1989年のみ、昭和天皇崩御の関係で1月下旬に放送された。