ブライアン・コーディ・ランサムBryan Cody Ransom , 1976年2月17日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州メサ出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

コーディ・ランサム
Cody Ransom
埼玉西武ライオンズ時代
(2014年4月2日 QVCマリンフィールドにて)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アリゾナ州メサ
生年月日 (1976-02-17) 1976年2月17日(48歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1998年 MLBドラフト9巡目(全体278位)
初出場 MLB / 2001年9月5日
NPB / 2014年3月28日
最終出場 MLB / 2013年8月31日
NPB / 2014年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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アマチュア時代

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チャンドラー高校を卒業した1995年に43巡目でクリーブランド・インディアンスに指名されるが拒否し、サウス・マウンテン短大に進学。在学中に2人の死者を出す交通事故に巻き込まれるが、助かった。1998年からはグランド・キャニオン大学に移り、大学野球で.330、8本塁打、48打点の活躍をする。

ジャイアンツ時代

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1998年ドラフト9巡目(全体278位)でサンフランシスコ・ジャイアンツに指名され契約を結びプロ入りを果たした。

2001年9月5日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でメジャーデビューを果たした。ジャイアンツ時代は主に守備固めで起用され、マイナーとメジャーの往復が続いた。

2002年9月29日のシーズン最終ヒューストン・アストロズ戦でメジャー初スタメン出場を果たし、第1打席にロイ・オズワルトからメジャー初安打を記録する。第3打席にはブランドン・パッファーから安打してメジャー初打点を記録。この際、二塁から生還した同僚・新庄剛志の走塁に感謝し、同じく同試合でメジャー初打点を挙げた際の新庄の一塁から生還する走塁に感謝した若手の同僚・トレイ・ランスフォードと共に、試合後の新庄へ礼を述べた[1]

2003年8月8日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でビセンテ・パディーヤからメジャー初本塁打を放った。

2004年12月21日にFAとなった。

レンジャーズ・カブス時代

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2005年1月20日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。3月30日、金銭トレードでテキサス・レンジャーズへ移籍した。AAA級オクラホマ・レッドホークスでプレーするも、5月25日に放出された。2日後の27日にカブスと再契約を結び、シーズンの残りをアイオワ・カブスでプレーした。10月15日にFAとなった。

アストロズ時代

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2006年1月27日にシアトル・マリナーズと契約した。スプリングトレーニングでは19試合に出場し、打率.219だった。マイナーへ合流したのち、3月30日にヒューストン・アストロズへ金銭トレードで移籍した。このシーズンはAAA級ラウンドロック・エクスプレスでプレーした。

2007年、3年ぶりにメジャー昇格を果たし、9月16日のピッツバーグ・パイレーツ戦ではポール・マホームからメジャー復帰後初の本塁打を放った。

ヤンキース時代

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ニューヨーク・ヤンキース時代
(2008年8月22日)

2007年11月27日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。2008年8月15日にメジャー昇格。球団史上初となる移籍後初打席から2打席連続本塁打を放った[2]。1本目は8月17日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦、2本目は8月22日のボルチモア・オリオールズ戦であった。9月21日のオリオールズ戦ではブライアン・ロバーツが放った打球を一塁へ素早く投げアウトにした。これがこの年限りで閉鎖となるヤンキースタジアムの歴史上最後の刺殺となった[2]。9月26日のボストン・レッドソックス戦では自身初の1試合2本塁打を放った[2]

2009年アレックス・ロドリゲスが右臀部の手術で開幕が間に合わないため、三塁手で自身初の開幕スタメンを果たした[3]。しかし、4月25日自身も四頭筋を故障しDL入りとなった[4]。8月5日にDFAとなり[5]、同月7日に放出された。しかし、その3日後の10日にヤンキースとマイナー契約を結んだ。内野のユーティリティーとして重宝された。11月9日にFAとなった。

フィリーズ時代

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フィリーズ時代(2010年7月9日)

2009年12月14日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ。2010年は怪我で離脱したチェイス・アトリープラシド・ポランコの穴を埋めるために三塁手のほかに、二塁手や一塁手でのスタメン出場もあった。11月6日にFAとなった。

ダイヤモンドバックス時代

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2011年1月19日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。ダイヤモンドバックスでは遊撃手と三塁手として起用された。10月10日にFAとなったが、12月11日にマイナー契約を結んだ。

2012年の開幕はAAAで過ごすも、クリス・ヤングが故障者リスト入りしたことに伴い、4月18日に昇格した[6]。しかし5月21日にDFAとなった[7]

ブルワーズ時代

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2012年5月23日にウェーバーでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[8]。7月13日のピッツバーグ・パイレーツ戦で自身初の満塁本塁打を放った[9]。主に遊撃手のスタメンとして起用された。ブルワーズでは自己最多の6本塁打を放つも打率.196と確実性を欠き、再びDFAとなった。

ダイヤモンドバックス復帰

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2012年8月31日にウェーバーでダイヤモンドバックスへ復帰した[10]。11月3日にFAとなった。

パドレス時代

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2012年12月21日、サンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[11]

2013年チェイス・ヘッドリーローガン・フォーサイスがスプリングトレーニングで故障したため、自身3度目の開幕ロースターに入り、自身2度目の開幕スタメンをはたした[12]。しかし4月12日にDFAとなった。

カブス時代

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2013年4月16日にウェーバーでシカゴ・カブスへ移籍した。9月8日にDFAとなり、同月16日に放出された。

西武時代

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2013年12月20日埼玉西武ライオンズが獲得したと発表した[13]

2014年、開幕戦に7番・三塁で先発出場[14]したが、38試合の出場で打率.212、2本塁打12打点と打撃が不調だった[15]7月27日に球団より戦力外通告を受け、翌28日にウエーバー公示にかけられることが発表された[16]

ダイヤモンドバックス傘下時代

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2015年2月24日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。AAA級リノ・エーシズで63試合に出場したが、打率.210、6本塁打、30打点という成績にとどまり、オフの11月6日にFAとなった。この年限りで現役を引退した。

現役引退後

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2020年に、アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下ルーキー級アリゾナリーグ(AZL)のAZLダイヤモンドバックス英語版のコーチに就任したが[17]新型コロナウイルスの感染拡大の影響でマイナーリーグが開催されなかった。2021年にアリゾナ・コンプレックスリーグ(ACL)[注 1]のACLダイヤモンドバックスに改めて就任[18]2022年は傘下A級バイセイリア・ローハイドのコーチを務めた[18]

2023年からはワシントン・ナショナルズの選手育成部門のポストである内野守備コーディネーター(Infield Coordinator)を務める[18]

選手としての特徴・人物

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球際の強さと強肩に加え、内野全ポジションをこなすユーティリティープレイヤー。打撃では選球眼の良さが魅力[19]

西武が彼を獲得する前にエステバン・ヘルマンとの交渉が35歳という年齢を理由に決裂したにもかかわらず、当時37歳の彼が指名されたことに対しては、野球ファンから疑問の声が相次いだ。西武時代は貧打・拙守・鈍足でファンの不安を的中させ、当時の伊原春樹監督からは「顔も見たくない」と酷評された[20]

ライオンズ時代に使われた応援歌の原曲はHot steppaの「Jericho」であり、ランサムの退団後も根強い人気を誇っている。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2001 SF 9 7 7 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .000 .000 .000 .000
2002 7 4 3 2 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 1 1 0 1 0 .667 .750 .667 1.417
2003 20 28 27 7 6 1 0 1 10 1 0 0 0 0 1 0 0 11 0 .222 .250 .370 .620
2004 78 78 68 13 17 6 0 1 26 11 2 2 3 0 6 0 1 20 2 .250 .320 .382 .702
2007 HOU 19 46 35 9 8 2 0 1 13 3 0 0 0 0 9 1 2 9 1 .229 .413 .371 .784
2008 NYY 33 51 43 9 13 3 0 4 28 8 0 0 1 0 6 0 1 12 0 .302 .400 .651 1.051
2009 31 86 79 11 15 9 1 0 26 10 2 0 0 0 7 0 0 25 3 .190 .256 .329 .585
2010 PHI 22 46 42 6 8 0 0 2 14 5 1 0 1 0 3 0 0 11 0 .190 .244 .333 .577
2011 ARI 12 37 33 3 5 2 0 1 10 4 1 0 0 0 3 0 1 9 3 .152 .243 .303 .546
2012 26 88 78 11 21 7 0 5 43 16 0 0 0 0 7 0 3 30 1 .269 .352 .551 .903
MIL 64 194 168 18 33 7 0 6 58 26 0 1 3 0 23 0 0 79 5 .196 .293 .345 .638
'12計 90 282 246 29 54 14 0 11 101 42 0 1 3 0 30 0 3 109 6 .220 .312 .411 .723
2013 SD 5 11 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .000 .000 .000 .000
CHC 57 182 158 21 32 10 1 9 71 20 0 0 1 0 22 0 1 57 4 .203 .304 .449 .753
'13計 62 193 169 21 32 10 1 9 71 20 0 0 1 0 22 0 1 62 4 .189 .286 .420 .706
2014 西武 38 138 118 8 25 8 0 2 39 12 0 1 1 0 18 1 1 49 1 .212 .321 .331 .652
MLB:11年 383 858 752 111 160 47 2 30 301 105 6 3 9 0 88 2 9 274 19 .213 .303 .400 .703
NPB:1年 38 138 118 8 25 8 0 2 39 12 0 1 1 0 18 1 1 49 1 .212 .321 .331 .652

記録

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NPB

背番号

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  • 1 (2001年、2011年 - 2012年途中、2012年途中 - 同年終了、2013年)
  • 2 (2002年 - 2004年)
  • 10 (2007年)
  • 29 (2008年 - 同年途中)
  • 60 (2008年途中 - 同年終了)
  • 12 (2009年 - 2010年)
  • 21 (2012年途中 - 同年途中)
  • 6 (2014年)

脚注

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注釈

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  1. ^ この年からリーグ名を「アリゾナリーグ」から「アリゾナ・コンプレックスリーグ」に改称。

出典

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  1. ^ 書籍 『SHINJO 夢をありがとう―新庄剛志と過ごしたアメリカ滞在記・北海道観戦記』 小島克典 (廣済堂出版 2007年3月) 198 - 200ページ
  2. ^ a b c Chuck, Bill. 100 random things about the Red Sox, Rays, and Yankees, The Boston Globe. Published April 2, 2009. Retrieved May 2, 2009.
  3. ^ Smith, Tim. In A-Rod's absence, Cody Ransom making the most of opportunity with Yankees, New York Daily News. Published March 31, 2009. Retrieved May 2, 2009.
  4. ^ Carig, Marc. Chien-Ming Wang (hip flexors), Cody Ransom (quad), to go on disabled list, Brian Bruney to get checked out as injuries pile up for New York Yankees, The Star-Ledger. Published April 25, 2009. Retrieved May 2, 2009.
  5. ^ http://yankees.lhblogs.com/2009/08/05/game-107-yankees-at-blue-jays/
  6. ^ Strittmatter, Dan (April 18, 2012). “Cody Ransom Called Up To D-backs; Chris Young to DL”. AZ Snake Pit. SBNation. 6 April 2013閲覧。
  7. ^ D'Backs Designate Cody Ransom For Assignment MLBTraderumors.com Retrieved 21 May 2012
  8. ^ Pouliot, Matthew (May 23, 2012). “Brewers pick up Cody Ransom on waivers from Arizona”. Hardball Talk. NBC Sports. 6 April 2013閲覧。
  9. ^ http://scores.espn.go.com/mlb/recap?gameId=320713108
  10. ^ Gilbert, Steve (August 31, 2012). “D-backs claim Ransom off waivers from Brewers”. MLB.com. 6 April 2013閲覧。
  11. ^ Nicholson-Smith, Ben (December 21, 2012). “Padres sign Cody Ransom”. MLBTradeRumors. 6 April 2013閲覧。
  12. ^ Lin, Dennis (March 30, 2013). “Ransom ready for Opening Day”. The San Diego Union-Tribune. http://www.utsandiego.com/news/2013/mar/30/padres-cody-ransom-opening-day/ 6 April 2013閲覧。 
  13. ^ 埼玉西武ライオンズ公式サイト - チームニュース 12月20日
  14. ^ 2014年3月28日 【公式戦】 試合結果 (埼玉西武vs東北楽天)”. NPB.jp 日本野球機構. 2017年5月26日閲覧。
  15. ^ 西武 ランサムに戦力外通告 2本塁打に終わるスポーツニッポン2014年7月27日配信
  16. ^ 埼玉西武ライオンズ選手契約について西武球団公式サイト2014年7月27日配信
  17. ^ D-backs announce 2020 player development staff”. MLB.com (2020年1月16日). 2022年1月18日閲覧。
  18. ^ a b c Washington Nationals announce Minor League player development staff”. MLB.com (2023年2月2日). 2023年4月26日閲覧。
  19. ^ 開幕直前恒例! MLB愛好家3人の、新外国人クロスレビュー(パ編)。(村瀬秀信)”. Number Web - ナンバー. 2021年10月7日閲覧。
  20. ^ 大物を相次いで外した楽天、ソフトバンクは“助っ人史上最悪の投手”と呼ばれた男【平成・令和パ・リーグ6球団のワースト助っ人は誰だ】<SLUGGER>(3/3ページ) THE DIGEST 2022.06.10 (2024年6月30日閲覧)

関連項目

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外部リンク

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