コンラート (ブルグント王)
コンラート平和王(Konrad der Friedfertige, 925年頃 - 993年10月19日)は、ブルグント王(在位:937年 - 993年)。ルドルフ2世とシュヴァーベン大公ブルヒャルト2世の娘ベルタの子。ブルグント王としてはコンラート1世、古ヴェルフ家ブルグント系当主としてはコンラート3世といわれる。
コンラート Konrad | |
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ブルグント王 | |
在位 | 937年 - 993年 |
出生 |
925年頃 |
死去 |
993年10月19日 |
配偶者 | アデラナ(アデライード) |
マティルド・ド・フランス | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヴェルフ家 |
父親 | ルドルフ2世 |
母親 | ベルタ・フォン・シュヴァーベン |
宗教 | キリスト教カトリック |
生涯
編集父ルドルフ2世の後を継いで937年ブルグント王となった。ザクセン朝の歴代皇帝とは良好な関係を保ち、その在位の間は比較的平和であった。
ブルグント王位は、息子のルドルフ3世が継いだが、ルドルフ3世は1032年嗣子なく没し、ブルグント王国は娘ゲルベルガとシュヴァーベン大公ヘルマン2世との間の娘ギーゼラと結婚した神聖ローマ皇帝コンラート2世により、1033年神聖ローマ帝国に編入された。
子女
編集最初、アデラナ(アデライード)という女性[1]と結婚、2子をもうけた。
脚注
編集- ^ イングランド王エドワード長兄王の娘との仮説も立てられている(Ludwig A. Winterswyl, Otto der Grosse und das Erste Reich der Deutschen, Obelisk-Verlag, 1937, p.95)
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