コンラート・アルブレヒト
ドイツの海軍軍人、海軍上級大将
コンラート・アルブレヒト(Conrad Albrecht、1880年10月7日 ブレーメン – 1969年8月18日 ハンブルク)は、ドイツの海軍軍人。バルト海鎮守府(Marinestation der Ostsee)司令官。最終階級は海軍上級大将。
コンラート・アルブレヒト Conrad Albrecht | |
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生誕 | 1880年10月7日 ドイツ帝国・ブレーメン |
死没 | 1969年8月18日 (88歳没) ドイツ・ハンブルク |
所属組織 | ドイツ帝国 ドイツ国 ドイツ国 |
部門 | ドイツ帝国海軍 ヴァイマル共和国海軍 ナチス・ドイツ海軍 |
軍歴 | 1899年 - 1939年 |
最終階級 | 海軍上級大将 |
戦闘 | 第一次世界大戦 第二次世界大戦 |
受賞 | 赤鷲勲章 |
生涯
編集1899年4月10日、士官候補生としてドイツ帝国海軍入営。「シュトッシュ」で基礎訓練を受けた。1909年3月、海軍大尉昇進。第一次世界大戦が勃発すると、フランドルの魚雷艇隊の司令官となる。1916年10月、海軍少佐に昇進。1917年1月にはZerstörer-Flotille Flandern司令官となり、1918年10月31日までその職にあった。
1920年3月12日までバルト海鎮守府(Marinestation der Ostsee)参謀。その後1920年9月まで掃海戦隊の指揮を執り、1923年3月27日まで第一戦隊の指揮を執った。1923年3月28日に海軍中佐昇任、キール海軍工廠司令官。1925年5月1日、海軍大佐昇進、バルト海鎮守府参謀長。1928年12月、Marineoffizierspersonalabteilung司令官。1930年4月1日、海軍少将昇任。同年9月29日、海軍偵察軍司令官。
1932年10月1日、海軍中将昇任、バルト海鎮守府司令官。1935年12月1日、海軍大将昇任、バルト海方面司令官となった。1939年、海軍上級大将昇任。ポーランド侵攻作戦では海軍の指揮を執った[1]。1939年12月31日、退役。
栄典
編集脚注
編集- ^ Haarr, G.H. (2013). The Gathering Storm: The Naval War in Northern Europe September 1939 – April 1940. Pen & Sword Books Limited. p. 47. ISBN 978-1-4738-3273-2
- ^ a b c Marinekabinett (Hrsg.): Rangliste der Kaiserlich Deutschen Marine. E.S. Mittler & Sohn, Berlin 1914, S. 132.
- ^ a b c d e f Reichswehrministerium (Hrsg.): Rangliste der Deutschen Reichsmarine. E.S. Mittler & Sohn, Berlin 1929, S. 39.