コンラッド・バード(Conrad Bade, 1520年 - 1562年10月)は、フランス生まれの印刷出版業者。自身で著述や翻訳も行っていた。なお、名前は、ラテン語混じりの筆名コンラッド・バディウス (Conrad Badius) の方がよく知られている。ほか、コンラドゥス・バディウス (Conradus Badius) とも称した。

ジョス・バードの息子として生まれ、1545年からパリで出版業を営んだ。1550年にプロテスタントに転向し、活動拠点をジュネーヴへ移した。出版業の傍ら、自身でも、プロテスタントの立場からカトリックを批判したり、風刺したりする著書を次々と執筆した。1562年3月にフランスへ戻り、オルレアンに住んだが、半年程のちにペストにより没した。

著書

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版元は基本的に自身の工房である。

  • ジャン・カルヴァン師により1541年に詠われたイエス・キリストへの勝利の歌。フランス語での新たな韻文訳』(ジュネーヴ、1555年)
  • コルドリエ会士たちのクルアーン』(ジュネーヴ、1556年/1560年)
  • 『教皇の厨房のキリスト教的サチュロス』(ジュネーヴ、1560年)
  • ローマ教皇や司教たちの生活』(ジュネーヴ、1561年)
  • 『病気の教皇の喜劇』(刊行地の記載なし、1561年)
    この文献はバードの死後も何度も再版された。
  • 『我らがノストラダムス師の美徳』(オルレアン?、1562年)
    この文献だけ異質なようだが、ノストラダムスは1561年に刊行した暦書ピウス4世に献辞を捧げていたこともあって、当時プロテスタントからは教皇主義者 (Papiste) と非難・風刺されていたのである。