コナン1世 (ブルターニュ公)
コナン1世(フランス語:Conan I, ? - 992年6月27日)は、ブルターニュ公(在位:990年 - 992年)。
コナン1世 Conan I | |
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ブルターニュ公 | |
在位 | 990年 - 992年 |
死去 |
992年6月27日 ブルターニュ公国、コンクレイユ |
埋葬 | モン=サン=ミシェル修道院 |
配偶者 | エルマンガルド=ジェルベルジュ・ダンジュー |
子女 |
ジョフロワ1世 ジュディット ジュディカエル ユルヴォ カトゥアロン |
家名 | レンヌ家 |
父親 | レンヌ伯ジュディカエル |
母親 | ジェルベルジュ・ド・ナント? |
生涯
編集コナン1世はレンヌ伯ジュディカエルの息子で、970年に父の跡を継いでレンヌ伯となった[1]。
990年春、コナン1世はナントの攻撃およびブルターニュ公アランの死後にブルターニュ公となったとみられる[2]。
コナン1世は、ドロゴ時代の摂政政治およびドロゴの死後庶子のオエル1世およびグエレス、そしてグエレスの子アランの統治を公爵として引き継いだ[3]。ブルターニュ公はしばらく空位が続いていたが、コナン1世は、ブルターニュ公となるためにブロワ伯ウード1世と同盟を結ばなければならなかった[4]。
990年7月28日の特許状で、コナン1世はヴィラメ、リーレル、パシエの地をモン=サン=ミシェルに与えた。後にこれらの地はフージェール領となった[5]。
ブロワとの同盟関係はやがて厄介なものとなり、自身のブロワへの影響力をなくし、リシャール1世との条約に調停した。この条約は初めてブルターニュとノルマンディーを結びつけた[4]。
リシャール1世はユーグ大公の娘と結婚し、この結婚後にブルターニュの上級領主としての父の主張を再び主張した。コナン1世とノルマンディーとの条約は、この主張を裏付けたが、その上級領主についての歴史的史料については、おもにサン=カンタン (歴史家)のデュドの信頼性の低い記述にのみでみられるため、真実は不明なままである[4][注釈 1]。
コナン1世は992年6月27日にコンクレイユの戦いで義弟アンジュー伯フルク3世ネラと戦い、戦死した[6]。コナン1世はモン=サン=ミシェル修道院に埋葬された[7]。
結婚と子女
編集コナン1世は973年に、アンジュー伯ジョフロワ1世の娘エルマンガルド=ジェルベルジュ[1]と結婚した[注釈 2][8]。2人には以下の子女が生まれた。
他の妻は知られていないが、以下の3人の息子はエルマンガルドの子供とは考えられない。
注釈
編集- ^ Priceはまた、コナン1世とリシャール1世の関係について、de la Borderie 1898, page 246-248も紹介している。
- ^ 修道士の年代記者ルドルフス・グラベルはその著書Histories [Bk. II, Ch. 3, para. 4] において、コナン1世に対し公然と敵意を示しており、コナン1世がフルク・ネラの姉エルマンガルド=ジェルベルジュと結婚した後、「最も卑劣な君主であった」と述べている。Bachrach, Fulk Nerra (1993),p. 42 & n. 99; Rodulfus Glaber, The Five Books of the Histories, ed. & trans. John France (Oxford: The Clarendon Press, 1989), pp. 58–61. を参照のこと。
脚注
編集- ^ a b c d e f Schwennicke 1984, Tafel 75.
- ^ Bachrach 1993, p. 38.
- ^ Delumeau, p. 141.
- ^ a b c Price, p. 370.
- ^ Keats-Rohan 1994, p. 18-19.
- ^ Bachrach 2002, p. 66.
- ^ Alexander, p. 8.
- ^ Bachrach 1993, p. 42.
参考文献
編集- Schwennicke, Detlev (1984). Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten. Neue Folge. Band II. Marburg, Germany: J. A. Stargardt
- Alexander, Jonathan James Graham (1970). Norman illumination at Mont St Michel, 966–1100. Oxford, UK: Clarendon Press
- Bachrach, Bernard S. (1993). Fulk Nerra, the neo-Roman consul, 987-1040: A Political Biography of the Angevin Count. Berkeley and Los Angeles: University of California Press
- Delumeau, Jean (1969). Histoire de la Bretagne. Toulouse, France: Edouard Privat editeur; Jean Delumeau, directeur, with contributing authors P-R Giot, J L'Helgouach, J Briard, J-B Colbert de Beaulieu, L Pape, P Rache, G Devailly, H Touchard, J Meyer, A Mussat, and G Le Guen (chapters do not specify individual authors)
- Keats-Rohan, K.S.B. (1994). 'Two Studies in North French Prosopography', Journal of Medieval History Vol. 20
- Price, Neil S. (1989). “The Vikings in Brittany”. Saga-Book of the Viking Society XXII (6): 319–440 .
- Bachrach, Bernard S. (2002). Warfare and Military Organization in Pre-Crusade Europe. IX,. Ashgate Publishing
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