グリューンベルクの戦い
グリューンベルクの戦い(グリューンベルクのたたかい、英語: Battle of Grünberg)は七年戦争中の1761年3月21日、ブロイ公率いるフランス軍がプロイセン軍とハノーファー軍に勝利した戦闘。
グリューンベルクの戦い | |
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戦争:七年戦争 | |
年月日:1761年3月21日 | |
場所:ヘッセン=ダルムシュタット方伯領、グリューンベルク | |
結果:フランスの勝利 | |
交戦勢力 | |
プロイセン王国 ハノーファー選帝侯領 |
フランス王国 |
指導者・指揮官 | |
フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル | ブロイ公ヴィクトール=フランソワ |
損害 | |
捕虜約2,000[1][2] 大砲13から14門[1] 軍旗18本[2] |
死傷者100以下[1] |
森を掩護にして進軍したフランス軍はイギリス軍に接近してから至近距離で騎兵突撃を行い、連合軍は2千人が捕虜になる大敗北に終わった[1]。そのため、フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルはカッセルの包囲を解かざるをえなかった[2]。
ブロイ公は戦闘に勝利した後、スービーズ公シャルル・ド・ロアンの部隊と合流したため、フランス軍はフェルディナント軍より大軍になった。しかし、人数上は優勢にもかかわらず、フランス軍は7月16日のフィリングハウゼンの戦いで敗北した。
脚注
編集参考文献
編集- Officer who served in the British forces (1764). The Operations of the Allied Army: Under the Command of His Serene Highness Prince Ferdinand, Duke of Brunswic and Luneberg, During the Greatest Part of Six Campaigns, Beginning in the Year 1757, and Ending in the Year 1762. T. Jeffrys. p. 201
- Johann Wilhelm von Archenholz (1843). The History of the Seven Years War in Germany. C. Jugel. p. 418