グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (32年の執政官)
グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス(Gnaeus Domitius Ahenobarbus, 紀元前17年12月11日 - 41年1月)は、ユリウス=クラウディウス朝の皇族に近い親戚。
父はルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス、母は大アントニア、2人の間に唯一生まれた男子である。妹にはドミティア・レピダがいる。カリグラは義理の兄弟、クラウディウスとは従兄弟同士となる。そして後のローマ皇帝ネロの実の父親である。
人物
編集「性格はとても卑劣で不誠実だ」とスエトニウスは彼のことを非常に厳しく書いている。少年の頃、ドミティウスはガイウス・カエサルが東方に派遣された時に彼に仕えていた。彼の記述には悪行の類いが絶えない。
まず彼の飲む酒が用意できないという、それだけの理由で自分の解放奴隷を殺した。人形で遊んでいた子供を馬でわざと踏み付けた。フォルム・ロマヌムで彼を公然と批判したエクィテスの者の片目をくり抜いた。自分の浪費を金持ちに肩代わりさせた。またプラエトル職にある時、ドミティウスは戦車競技の賞金をだまし取ったと伝えられる。皇帝ティベリウスはドミティウスのこのような悪行に国家反逆罪、不義、姉妹との近親姦の咎で処断しようとしていたが、ティベリウスは没しカリグラが帝位に上がり、命拾いをする。またドミティウスは片っ端から女性に手をつけていたとも言う。
従兄弟の娘小アグリッピナと彼女が13歳の時に結婚する。ティベリウスがこの結婚の段取りを決め、ローマで夫婦は祝福された。
32年にコンスル職に就任、37年に息子が生まれる。名前はドミティウスの父親と同名のルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス(のちのローマ皇帝ネロ)。
ドミティウスは遺産の3分の1は息子ルキウスに渡るように遺言を書いていたが、その死後、カリグラはルキウスの相続分まで全部横取りしてしまった。しかしカリグラが暗殺され、クラウディウスの治世になってから取り戻すことができたという。