グアム無差別殺傷事件(グアムむさべつさっしょうじけん)は、2013年2月12日グアム島タモン地区で発生した無差別殺傷事件

グアム無差別殺傷事件
場所 グアムの旗 グアム・タモン地区Pale San Vitores Road
座標 北緯13度30分39.6秒 東経144度48分32.4秒 / 北緯13.511000度 東経144.809000度 / 13.511000; 144.809000 (グアム無差別殺傷事件)座標: 北緯13度30分39.6秒 東経144度48分32.4秒 / 北緯13.511000度 東経144.809000度 / 13.511000; 144.809000 (グアム無差別殺傷事件)
日付 2013年2月12日
午後10時20分
攻撃手段 車両、ナイフ
死亡者 3人
負傷者 11人
動機 不明
攻撃側人数 1人
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概要

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2013年2月12日午後10時20分(日本時間同9時20分)ごろ、グアム島の繁華街タモン地区で地元に住む犯行時21歳のチャド・ライアン・デソトが運転する車で暴走し通行人をはね、商店の壁に激突。その後、周囲にいた人々を刃物で無差別に襲撃し、親族の結婚式や観光などで訪れていた、現場に居合わせた日本人3人が犠牲になり[1]、生後8か月の乳児や3歳児を含む11人が負傷した[2][3]

犯人

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チャド・ライアン・デソトはグアムで生まれ、2009年に両親が離婚して以来、祖母と母の3人で暮らしていた。デソトは地元の高校に通っていたとき友人らと共に映画を制作。自ら出演したその映画は2011年のグアム国際映画祭に出品され、マリアナ諸島製作部門で優秀賞を受賞している。

しかし事件の4ヶ月前、高校の時から付き合っていた彼女がアメリカ本土へ引っ越すことになり、事件の1ヶ月前には働いていた写真スタジオをクビになり、この頃からデソトの様子がおかしくなったという[4]

逮捕後には「最初は車で、次にナイフで、できるだけ多くの人を傷つけてやろうと思った」と警察に語っている[5]

裁判

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2014年9月25日、日本人観光客3人が死亡し11人が負傷した無差別殺傷事件で、グアム高裁は加重殺人などの罪で8月4日の陪審で有罪評決を受けていた被告に対し、死刑制度がないグアムでは最も重い量刑である仮釈放なしの終身刑を言い渡した[6]

被告側は精神疾患を理由に無罪を主張していたが[7]、アニタ・スコラ判事は、「法廷で被告の口から後悔の念が述べられることはなかった。被告が強調していたのは精神疾患のことばかりだ」と指摘。刑務所に収監しなければ、被告はさらに多くの犯罪に手を染める可能性が高いと判決理由を述べた[8]

脚注

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  1. ^ 犠牲者の冥福祈りミサ グアム無差別殺傷”. 日本経済新聞 (2013年2月17日). 2024年7月17日閲覧。
  2. ^ グアム無差別殺傷事件:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2024年7月17日閲覧。
  3. ^ グアム無差別殺傷事件、被告に終身刑 3邦人死亡”. www.afpbb.com (2014年9月25日). 2024年7月17日閲覧。
  4. ^ 日本テレビ放送網株式会社. “大人気リゾートでの惨劇”. 日本テレビ. 2024年7月17日閲覧。
  5. ^ 「できるだけ多くの人を傷つけてやろうと思った」 グアム日本人死傷犯人は「通り魔」だった”. J-CAST ニュース (2013年2月13日). 2024年7月17日閲覧。
  6. ^ 産経新聞 (2014年9月26日). “「風化させず被害者支援を」 グアム無差別殺傷で茨城の遺族ら”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年7月17日閲覧。
  7. ^ 遺族ら初出廷「毎日悔しい思い」グアム無差別殺傷”. テレ朝news. 2024年7月17日閲覧。
  8. ^ グアム無差別殺傷事件、被告に終身刑 3邦人死亡”. www.afpbb.com (2014年9月25日). 2024年7月17日閲覧。

関連項目

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