朐山県(くざん-けん)は中華人民共和国江蘇省にかつて存在した県。現在の連雲港市南西部に相当する。

中国地名の変遷
建置 秦代
使用状況 明初に廃止
朐県
前漢朐県
後漢朐県
三国朐県
西晋朐県
東晋十六国朐県
南北朝廃止(宋)
招遠県(梁)
朐県(東魏)
朐山県(北周)
朐山県
朐山県
五代朐山県
北宋/朐山県
南宋/朐山県
朐山県
廃止

秦代に設置された朐県を前身とする。始皇帝は治世の35年(紀元前222年)に、朐界の海上に石を建て、秦の東門とした[1]。2本の石の柱を立て、海に向けた門の形をとったようである。

代には東海郡に属した。南北朝時代になるとにより廃止されるが、により招遠県として再設置、その後東魏により朐県北周により朐山県と改称され、朐山郡の郡治とされた。隋代から宋代にかけては海州の州治とされていたが、明朝が成立すると洪武初年に廃止された。

脚注

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  1. ^ 司馬遷史記』秦始皇本紀第六。吉田賢抗『史記』1(新釈漢文体系38、明治書院、1973年)、349-350頁。班固漢書』地理志第八上には「東門闕」。小竹武夫訳『漢書』3(ちくま学芸文庫、筑摩書房、1998年)、337頁。

参考文献

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  • 二十四史』中華書局
  • 『復旦大学中国歴史地名大辞典』(復旦大学出版社)
  • 『中国古今地名対照表』(上海辞書出版社)