クーパー伯爵
クーパー伯爵(英: Earl Cowper)は、かつて存在したイギリスの伯爵位。
クーパー伯爵 Earl Cowper | |
---|---|
Arms:Quarterly:I, Argent three Martlets Gules on a Chief engrailed of the last as many Annulets Or (Cowper) Crest:A Lion's Gamb erect and erased Or holding a Cherry Branch Vert fructed Gules.Supporters:On either side a Light Dun Horse, with a large blaze down the face, mane close shorn except for a tuft upon the withers, a black list down the back, a bob tail, and three white feet, viz. the hind feet and near forefoot
| |
創設時期 | 1718年3月20日 |
創設者 | ジョージ1世 |
貴族 | グレートブリテン貴族 |
初代 | 初代伯ウィリアム・クーパー |
最終保有者 | 7代伯フランシス・クーパー |
相続資格 |
初代伯爵の直系男子、男子なき場合は初代伯の弟の直系男子 1st Earl's male of his body, with a special remainder to those dignities, and with a further extension of the remainder of the Barony of Cowper, failing heirs male of the body of the grantee, to his brother, Sir Spencer Cowper and the heirs male of his body
|
付随称号 | フォーディッチ子爵 クーパー男爵 (ラトリング・コートの)準男爵 バトラー男爵(1871-1905) ディンゴール卿(1871-1905) ルーカス男爵(1880-1905) |
現況 | 廃絶 |
断絶時期 | 1905年7月18日 |
旧邸宅 | レスト・パーク ブロケットホール パンシェンジャー・ハウス |
モットー | Tuum Est |
第3代準男爵ウィリアム・クーパーが1718年にグレートブリテン貴族として叙されたが、1905年に廃絶した。伯爵家は神聖ローマ帝国貴族も兼ねており、紋章中に『双頭の鷲』を加えることも認められていた。
歴史
編集クーパー家の祖ウィリアム・クーパー(1582-1664)は1642年にイングランド準男爵位の(ケント州ラトリング・コートの)準男爵(Baronet, of Ratling Court in the County of Kent)に叙された[1]。
その孫の3代準男爵ウィリアム(1665–1723)はハートフォード選挙区選出の庶民院議員を務めたのち、ホイッグ党の有力な政治家として国璽尚書やグレートブリテン王国初代大法官といった顕職を歴任した[2]。
彼は父から準男爵位を承継した翌月の1706年12月14日にイングランド貴族としてケント州ウィンガムのクーパー男爵(Baron Cowper of Wingham in the County of Kent)に叙された[2][3]。ウィリアムは1718年3月20日にグレートブリテン貴族としてクーパー伯爵(Earl Cowper)に昇叙するとともに、併せてケント州におけるフォーディッチ子爵(Viscount Fordwich, in the County of Kent)を授けられている[2][3]。この2つのグレートブリテン爵位には初代伯の弟スペンサー(1670-1728)の男系子孫にも相続を認める特別継承権が付与されていた[3]。
その息子である2代伯ウィリアム(1709-1764)は1762年に母の兄弟が死去すると、母方の姓である「クレイヴァーリング(Clavering)」をその姓に付け加えた[4]。 彼ののちは、一人息子のヘンリーが爵位を相続した。
3代伯ヘンリー(1738-1789)は母がオラニエ=ナッサウ家出身であった縁から[註釈 1]、1778年1月31日に神聖ローマ帝国貴族としてナッソー・ドーヴァーカーク侯爵(Prince of Nassau d'Auverquerque)に叙された[3][5][6]。1785年には英国王ジョージ3世より勅許を得て、一族はこの爵位を英国で名乗ることができた[7]。このためイングランド貴族としては珍しく[註釈 2]、紋章中に『双頭の鷲』を配することが特別に許されていた[8]。
3代伯の子である4代伯ジョージ(1776-1799)が若くして男子なく死去したため、一連の爵位は彼の弟ピーター(5代伯)及びその男系子孫へと継承された[3]。
6代伯ジョージ(1806-1856)はホイッグ党の政治家で外務政務次官やケント州統監を務めた[3]。彼が1856年に死去すると、長男のフランシスが爵位を相続した[3]。
7代伯フランシス(1834-1905)は自由党の有力な政治家で、儀仗衛士隊隊長(兼貴族院与党院内幹事)、枢密顧問官及びアイルランド総督といった要職を務めた[3][9]。彼は母方のバトラー家がかつて保持したバトラー男爵及びディンゴール卿の爵位を回復したほか、1871年には母から古いイングランド貴族爵位のルーカス男爵を承継した[10][11][12]。
しかしフランシスには男子がなかったため、クーパー伯爵を含む3つのイギリス爵位と神聖ローマ帝国爵位のナッソー・ドーヴァーカーク侯爵位は廃絶した[3]。
一方で、バトラー男爵位は彼の姉妹間で優劣がつかなかったため停止状態(Abeyant)となったほか、ディンゴール卿位とルーカス男爵位に関しては1907年に遠縁のオベロン・ハーバートへの継承が確定した[13]。
一覧
編集ラトリング・コートのクーパー準男爵(1642年)
編集- 初代準男爵サー・ウィリアム・クーパー(1582-1664)
- 第2代準男爵サー・ウィリアム・クーパー(1639–1706)
- 第3代準男爵サー・ウィリアム・クーパー(1665–1723)(1706年にクーパー男爵 、1718年にクーパー伯爵位叙爵)
クーパー伯爵(1718年)
編集- 初代クーパー伯爵ウィリアム・クーパー(1665–1723)
- 第2代クーパー伯爵ウィリアム・クレイヴァーリング=クーパー (1709–1764)
- 第3代クーパー伯爵ジョージ・ナッソー・クレイヴァーリング=クーパー (1738–1789)
- 第4代クーパー伯爵ジョージ・オーガスタス・クレイヴァーリング=クーパー(1776–1799)
- 第5代クーパー伯爵ピーター・レオポルド・ルイ・フランシス・ナッソー・クレイヴァーリング=クーパー
- 第6代クーパー伯爵ジョージ・オーガスタス・フレデリック・クーパー(1806–1856)
- 第7代クーパー伯爵フランシス・トマス・ド・グレイ・クーパー (1834–1905)(1905年クーパー伯爵位廃絶)
脚注
編集註釈
編集- ^ ナッサウ家出身の初代グランサム伯爵ヘンリー・ド・ナッソー・ドーヴァーカークの娘だった。
- ^ 紋章中に双頭の鷲を加えたイングランド貴族のほかの事例には、マールバラ公爵家、ウォーダーのアランデル男爵家が挙げられる[8]。両者ともにクーパー伯爵家と同様、神聖ローマ帝国貴族を兼ねる。
出典
編集- ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 7 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 349.
- ^ a b c Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 7 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 348–349.
- ^ a b c d e f g h i “Cowper, Earl (GB, 1718 - 1905)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月2日閲覧。
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 483–484.
- ^ “Grantham, Earl of (E, 1698 - 1754)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月2日閲覧。
- ^ Belsey, Hugh (January 2008) [23 September 2004]. "Cowper, George Nassau Clavering, third Earl Cowper (1738–1789)". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/61668。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ "No. 12676". The London Gazette (英語). 23 August 1785. 2020年12月20日閲覧。
- ^ a b スレイター, スティーヴン 著、朝治 啓三 訳『【図説】紋章学事典』(第1版)創元社、2019年9月30日、65頁。ISBN 978-4-422-21532-7。
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 486.
- ^ "No. 23761". The London Gazette (英語). 1 August 1871. p. 3414.
- ^ “Dingwall, Lord (S, 1609)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月2日閲覧。
- ^ “Lucas of Crudwell, Baron (E, 1663)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月2日閲覧。
- ^ Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990