クレーヴの奥方 (1961年の映画)
『クレーヴの奥方』(クレーヴのおくがた、フランス語: La Princesse de Clèves)は、1961年製作・公開、ジャン・ドラノワ監督のフランス・イタリア合作の長篇劇映画である[1]。
クレーヴの奥方 | |
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La Princesse de Clèves | |
監督 | ジャン・ドラノワ |
脚本 | ジャン・コクトー |
原作 | マダム・ド・ラファイエット |
製作総指揮 | ロベール・ドルフマン |
出演者 |
ジャン・マレー マリナ・ヴラディ |
音楽 | ジョルジュ・オーリック |
撮影 | アンリ・アルカン |
編集 | アンリ・タヴェルナ |
製作会社 |
シネテル シルヴェル・フィルム プロドゥツィオーニ・チネマトグラフィケ・メディテッラネー エナルパ・フィルム |
配給 |
シネディス ケイブルホーグ |
公開 |
1961年3月22日 1961年9月15日 1988年11月19日 |
上映時間 | 115分 |
製作国 |
フランス イタリア |
言語 | フランス語 |
略歴・概要
編集マダム・ド・ラファイエットの書いた17世紀末の恋愛小説『クレーヴの奥方』の初の映画化である[2]。詩人で映画作家のジャン・コクトーが脚本を書き、ドラノワが監督した。
日本では本作の完成後、長らく劇場公開はされなかったが、東京日仏学院が英語字幕付の16ミリプリントを所蔵しており、上映される機会はあった。フランス等での公開後27年を経た1988年、ケイブルホーグが日本での上映権を取得し、同年11月19日に日本での初公開を果たした[1]。日本でのDVDは未発売である。
スタッフ
編集- 監督 - ジャン・ドラノワ
- プロデューサー - ロベール・ドルフマン
- 脚色 - ジャン・コクトー
- 原作 - マダム・ド・ラファイエット
- 撮影 - アンリ・アルカン
- 美術 - ルネ・ルルー
- 録音 - ジャック・ルブルトン
- 編集 - アンリ・タヴェルナ
- 音楽 - ジョルジュ・オーリック
キャスト
編集- クレジット順
- レイモン・ジェローム - 王
- レア・パドヴァーニ - 王妃カトリーヌ・ド・メディシス
- アニー・デュコー - ディアーヌ・ド・ポワチエ
- アラン・フェラル - 王太子フランソワ
- ルネ=マリー・ポテ - 王太子妃メアリー・スチュアート
- ジャン・マレー - クレーヴ公
- マリナ・ヴラディ - クレーヴ公夫人
- ジャン=フランソワ・ポロン - ヌムール公
- アンリ・ピエゲ - シャルトル子爵
- ピエラル - 道化
- イヴァン・ドミニク - シャルル・ド・ギーズ
- レア・グレー - メルクール夫人
- ジャック・イリング - 医師
- ユベール・ラパラン - アンブロワーズ・パレ
- ジョルジュ・リカン - 執事
- ピエール・モンコルビエ - 画家
- ジョゼ・ステネ - マルティーグ夫人
- アンソニー・ステュワート - イギリス大使
ストーリー
編集舞台は16世紀、アンリ2世(レイモン・ジェローム)の時代。クレーヴ公(ジャン・マレー)と、晴れて「クレーヴの奥方」となったシャルトル公の令嬢(マリナ・ヴラディ)の結婚を祝う舞踏会である。クレーヴ公夫人は、偶然いっしょに踊ることになったヌムール公(ジャン=フランソワ・ポロン)に惹かれる。ヌムール公も同様だった。
ジュ・ド・ポームの試合の日、クレーヴ公夫人のいとこのシャルトル子爵(アンリ・ピエゲ)が、愛人宛の手紙を落としてしまう。王太子妃メアリー・スチュアート(ルネ=マリー・ポテ)は、クレーヴ公夫人にその手紙を託される。シャルトル子爵は王妃カトリーヌ・ド・メディチ(レア・パドヴァーニ)の愛人であるが、その手紙はほかのだれかに宛てたものであった。シャルトル子爵は、ヌムール公に頼み、手紙を取り返そうとした。クレーヴ公夫人は手紙を焼却する。手紙の存在を知る王妃カトリーヌ・ド・メディチが、その手紙を欲していることを知ったクレーヴ公夫人とヌムール公は、王妃に渡すべく手紙を書き直す。その過程で、二人の心のなかから現れる愛のことばに、二人の気持ちは高まっていく。
自分の胸に生じた恋心に驚くクレーヴ公夫人は、相手を明かさぬまま、夫のクレーヴ公に事態を告白する。ある夜、まったくの用事でヌムール公がクレーヴ公夫人の寝室に入る。道化(ピエラル)がそれを目撃し、クレーヴ公に告げ口をする。クレーヴ公は苦しみのあまり病に倒れ、息絶える。
クレーヴ公夫人は苦しみ、隠遁し、彼女にも死の影が近づく。クレーヴ公夫人は手紙を書く。手紙はヌムール公に届くことなく、クレーヴ公夫人は息絶えた。