クルナリャー・ダ・リュブラガート
クルナリャー・ダ・リュブラガート(カタルーニャ語: Cornellà de Llobregat カタルーニャ語発音: [kʊɾnəˈʎɑ ðə ʎʊβɾəˈɣɑt])は、スペイン・カタルーニャ州バルセロナ県バッジ・リュブラガートにあるムニシピ(基礎自治体)。バルセロナ都市圏に含まれる。スペイン語表記はCornellá de Llobregat(コルネジャー・デ・ジョブレガット)。カタルーニャ語名が公式名。
州 | カタルーニャ州 |
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県 | バルセロナ県 |
地域 | マトルプリタ・ダ・バルサローナ |
コマルカ | バッジ・リュブラガート |
面積 | 7.0 km² |
標高 | 27m |
人口 | 90,076 人 (2023年)[1] |
人口密度 | 12,868 人/km² |
住民呼称 | cornellanense |
北緯41度21分50秒 東経2度04分36秒 / 北緯41.36389度 東経2.07667度座標: 北緯41度21分50秒 東経2度04分36秒 / 北緯41.36389度 東経2.07667度
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地理
編集クルナリャーは、バルセロナ中心部から見て南西に位置し、バルセロナとコナベーションを形成している。クルナリャーはリュブラガート川の大きな湾曲部の北東にあたる。
典型的な地中海性気候で、冬の平均気温は7℃から9℃、夏の平均気温は28℃から30℃である。降雨量は総じて秋に多い。
人口
編集クルナリャー・ダ・リュブラガートの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3] |
歴史
編集最初にクルナリャーについて名が記されたのは980年である。当時、教会とサラセン人の攻撃を監視する監視塔があった。監視塔の場所には13世紀にクルナリャー城が建てられた。リュブラガート川を見下ろす丘の上であったからである。13世紀にはクルナリャーはバルセロナに併合された。
スペイン継承戦争後の1716年に新国家基本法が交付されると、クルナリャーはバルセロナから分離し、バッジ・リュブラガートに属する独立したムニシピオ(基礎自治体)となった。1819年にインファンタス運河が開通すると土地の灌漑が進み、産業が導入された。1854年には鉄道が到達した。ほぼ100年間、クルナリャーは織物業を中心とした経済で繁栄し、それまでの市中心部から離れた郊外に人口が移った。1950年代以降の新たな人口増加で産業化と都市化がさらに進んだ。フランコ独裁時代、クルナリャーでは労働階級と社会民主主義に関連した闘争が行われた。
交通
編集- 道路 - A-2(マドリード=バルセロナ間)、C-32(バルセロナ=アル・バンドレイ間)、C-31(バルセロナ=カステイダフェルス間)
- 鉄道 - セルカニアス バルセロナR1号線、R4号線クルナリャー駅。バルセロナ地下鉄L5号線、クルナリャー駅、ガバラ駅、サン・イデフォン駅。
スポーツ
編集サッカークラブのRCDエスパニョールのホームスタジアムであるエスタディ・コルネリャ=エル・プラットがある。
出身人物
編集- ルベン・ミーニョ - サッカー選手