クリント・ロングリー
クリント・ロングリー(Clint Longley 1952年7月28日- )は、アメリカ合衆国テキサス州ウィチタフォールズ出身のアメリカンフットボール選手。1974年から1977年までNFL、CFLでプレーした。ポジションはクォーターバック。
Clint Longley | |||||||||||||
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基本情報 | |||||||||||||
ポジション | クォーターバック | ||||||||||||
生年月日 | 1952年7月28日(72歳) | ||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 テキサス州ウィチタフォールズ | ||||||||||||
身長: | 6' 1" =約185.4cm | ||||||||||||
体重: | 193 lb =約87.5kg | ||||||||||||
経歴 | |||||||||||||
大学 | アビリーンクリスチャン大学 | ||||||||||||
NFLドラフト | 1974年 / 1巡目 | ||||||||||||
初出場年 | 1974年 | ||||||||||||
初出場チーム | ダラス・カウボーイズ | ||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||||||
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Player stats at PFR |
経歴
編集アビリーン・クリスチャン大学から1974年のNFLドラフトでシンシナティ・ベンガルズに指名されたがロースターに残れず、その後ダラス・カウボーイズに入団した。
1974年の感謝祭の日のワシントン・レッドスキンズ戦でエースQBのロジャー・ストーバックが脳震盪を起こし退場した試合の第3Q初め、3-16と13点リードされた場面で交代出場し、2タッチダウンをあげて勝利に貢献した[1]。2つ目のタッチダウンパスは残り1分を切ってからのドリュー・ピアソンへの50ヤードの決勝タッチダウンであった[2]。
ダニー・ホワイトとの控えQB争いの激しくなった1976年、夏のトレーニングキャンプのロッカールームでストーバックに殴りかかり[3]、チームから放出された[2]。この直後に彼はサンディエゴ・チャージャーズに入団し、ダン・ファウツの控えQBとしてプレー、1977年のトレーニングキャンプの間に解雇された。
1977年にはカナディアン・フットボール・リーグのトロント・アルゴノーツで6試合出場している[4]。
1978年、セントルイス・カージナルスと契約したが、シーズン開始前に解雇された。
1980年、CFLのハミルトン・タイガーキャッツと契約したが、ロースターに残ることはできなかった。
脚注
編集- ^ “Washington Redskins 23 at Dallas Cowboys 24 Thursday, November 28, 1974”. pro-football-reference.com. 2011年9月17日閲覧。
- ^ a b “Legends, underdogs, goats shared Texas Stadium spotlight publisher=ESPN” (2008年9月15日). 2011年9月17日閲覧。
- ^ “Camp can drive some over edge”. ESPN (2007年7月23日). 2011年9月17日閲覧。
- ^ “College & Pro Football Statistics”. totalfootballstats.com. 2011年9月17日閲覧。