クリフォード・ロビンソン
クリフォード・ラルフ・ロビンソン(Clifford Ralph Robinson, 1966年12月16日 - 2020年8月29日)はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手。ニューヨーク州バッファロー出身。NBAで活躍。非常に息の長い選手として知られ、キャリア晩年は現役最年長クラスの選手だった。
主な所属チームはポートランド・トレイルブレイザーズ、フェニックス・サンズ。ポジションはフォワード/センター。ヘアバンドがトレードマークである。208cm、109kg。
故人 | |
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ポジション | PF(SF/C) |
基本情報 | |
愛称 | Cliff., Cliffey |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1966年12月16日 |
没年月日 | 2020年8月29日(53歳没) |
出身地 | ニューヨーク州バッファロー |
身長(現役時) | 208cm (6 ft 10 in) |
体重(現役時) | 109kg (240 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | コネチカット大学 |
NBAドラフト | 1989年 / 2巡目 / 全体36位[1] |
選手経歴 | |
1989-1996 1996-2001 2001-2003 2003-2005 2005-2007 |
ポートランド・トレイルブレイザーズ フェニックス・サンズ デトロイト・ピストンズ ゴールデンステート・ウォリアーズ ニュージャージー・ネッツ |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
経歴
編集コネチカット大学でプレイ後、1989年のドラフト2巡目36位でポートランド・トレイルブレイザーズに入団。新人ながら82ゲームフル出場を果たした。ルーキーイヤーから数シーズンは主に控え選手としてプレイし、1991-1992シーズンはチームのファイナル進出に貢献(マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズの前に敗退)、翌1992-1993シーズンに控え選手ながらシーズン通算得点でチームトップとなり、シックスマン賞を受賞した。1993-1994シーズンにはスターターに定着、オールスターにも出場、シーズン平均得点は20点を突破した。1994-1995シーズン中にチームの象徴的存在だったクライド・ドレクスラーが去ると、パワーフォワードながら3ポイントシュートの才能も開花させたロビンソンは、平均20得点オーバーのスコアラーとしてチームを牽引したが、プレイオフでは1回戦敗退が続き、1997年にフェニックス・サンズに移籍した。
サンズで4シーズンプレイした後、2001年にはデトロイト・ピストンズに移籍。サンズ・ピストンズ時代も、1試合平均15得点前後を挙げるが、ディフェンスでも活躍し、1999-2000シーズン、2001-2002シーズンにはオールNBAディフェンスセカンドチームに選出される。
2003年にはゴールデンステート・ウォリアーズに移籍。すでにリーグでも大ベテランの域に達していたロビンソンは、出場時間が削られるようになり、2004-2005シーズンにはニュージャージー・ネッツに放出される。ネッツではベンチに控えるベテランプレイヤーとして活躍し、2005-2006シーズンにはキャリア通算19,000得点を突破した。
2007年に現役を引退。18年に及ぶNBAキャリアの成績は、通算19,591得点6,306リバウンド3,094アシスト、平均14.2得点4.6リバウンド2.2アシスト。
2017年に脳梗塞を患い、2019年は癌治療を行うなど晩年は闘病生活を続けていたが、2020年8月29日、悪性リンパ腫のため死去[1]。53歳没。
プレイスタイル・業績
編集208cmのビッグマンながら機動力があり、アウトサイドシュートも得意。ブレイザーズ時代は主にスコアラーとして活躍したが、サンズ時代以降はディフェンスでもチームに貢献するようになった。頑丈な選手として知られ怪我にも強く、ラストシーズンとロックアウトでシーズンが縮小された1998-99シーズンを除き、全てのシーズンで70試合以上出場しており、長期欠場したことがない。通算1,380試合出場は、引退した時点で歴代8位の記録だった。 リバウンドは決して多くは無いが、チャージングを取るのが非常に巧い。
ラストシーズンとなった2006-2007シーズンの時点ではケビン・ウィリス、ディケンベ・ムトンボに次ぐ3番目のリーグ年長者であり、1980年代ドラフト組みで現役はケビン・ウィリスとロビンソンだけであった(ウィリスは2007年4月に現役復帰するまでの1シーズンはNBAでプレイしておらず、その間はロビンソンが唯一の1980年代ドラフト組みだった)。ロビンソンが引退した年と同じ時期にウィリスもラストシーズンを迎えており、彼らの引退でリーグから1980年代ドラフト組みは姿を消した。
キャリア序盤のファイナルでマイケルジョーダンとスコッティピペンのプレイを目の当たりにして、 それをきっかけにディフェンス意識が向上。サンズでは3ポジションのディフェンスをコーチに事実上丸投げされていた事もあった。所属チームのプレイオフ進出率も非常に高い。 数字に残りにくいプレイを真面目に取り組む素晴らしいプレイヤーであった。
脚注
編集- ^ “NBAキャリア18年を万能型ビッグマンとして活躍したクリフォード・ロビンソンが逝去”. バスケットボールキング (2020年8月30日). 2020年8月30日閲覧。