クリス・ウッド (ロックミュージシャン)
クリス・ウッド(Chris Wood、1944年6月24日 - 1983年7月12日)は、イングランドのバーミンガム出身のロック・ミュージシャン。木管楽器奏者。主にイングランドのロックバンドであるトラフィックのメンバーとして知られている。
クリス・ウッド Chris Wood | |
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1969年のウッド | |
基本情報 | |
出生名 | Christopher Gordon Blandford Wood |
生誕 | 1944年6月24日 |
出身地 | イングランド バーミンガム クイントン |
死没 | 1983年7月12日(39歳没) |
ジャンル | ロック、プログレッシブ・ロック、フュージョン |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | サクソフォーン、フルート |
活動期間 | 1963年 - 1983年 |
共同作業者 |
シェード・オブ・ブルー ロコモーティヴ トラフィック メイスン、キャパルディ、ウッド&フロッグ ドクター・ジョン ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース |
経歴
編集生い立ちと黎明期
編集バーミンガム郊外のクイントンで生まれた。幼少期から音楽と絵画に興味を示した。15歳の時に独学でフルートとサクソフォーンの演奏を始めた。
バーミンガム出身のミュージシャン、クリスティン・パーフェクト(後のクリスティン・マクヴィー)、カール・パーマー[信頼性要検証]、スタン・ウェッブ、マイク・ケリーと共に地元で演奏を始めた。
1964年、シェード・オブ・ブルーでクリスティン・パーフェクト、1965年から1966年にかけてロコモーティヴでマイク・ケリーと共演した[1]。
トラフィック
編集1967年、スティーヴ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、デイヴ・メイスンとトラフィックを結成。
1968年、ウィンウッド、メイスンと共にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのアルバム『エレクトリック・レディランド』のレコーディングに参加した。
1969年にトラフィックが解散した後、メイスン、キャパルディ、ミック・ウィーバー(Mick Weaver)と、メイスン・キャパルディ・ウッド&フロッグ(Mason, Capaldi, Wood and Frog)を結成[2]。1970年、のちに妻となるジャネット・ジェイコブズ[3]やウィンウッドと共にジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースに加入して[4]、デビュー・アルバムの制作に参加した。
1970年、ウィンウッド、キャパルディと共にトラフィックを再結成して、1974年の解散まで活動を続けた。
その後
編集1982年、元妻のジャネットがてんかん発作で死去。当時、二人は既に離婚していたが、彼女の死は彼に大きな衝撃を与えた。
彼はアルコールなどの中毒症状に悩まされて飲酒を減らしたが、薬によってさらに合併症が引き起こされた。
死
編集1983年、バーミンガムのクイーン・エリザベス病院で肺炎によって死去。享年39歳。
当時制作されていたソロ・アルバムは、彼の死によって未完成のまま残された。
死後
編集1994年、ウィンウッドとキャパルディがトラフィック名義で彼に捧げたアルバム『ファー・フロム・ホーム』を発表。ジャケットの中央に立っている棒人間の絵は、彼がフルートを演奏する姿を象徴している。
2004年、トラフィックがロックの殿堂入りを果たし、ウッドはウィンウッド、メイスン、キャパルディと共に受賞者に選ばれた。授賞式には妹ステファニーが代理で出席した。
ディスコグラフィ
編集ソロ・アルバム
編集- 『バルカン』 - Vulcan (2008年) ※1983年録音
トラフィック
編集ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース
編集- 『ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース』 - Ginger Baker's Air Force (1970年)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ http://www.brumbeat.net/locomoti.htm
- ^ https://web.archive.org/web/20091019213014/http://geocities.com/SunsetStrip/Palladium/2214/mweav_b.htm
- ^ “Discogs”. 2024年1月20日閲覧。
- ^ Baker, Ginger; Baker, Ginette (2010). Ginger Baker: Hellraiser. Bonnier Books. pp. 135-140. ISBN 978-1-84454-966-5
- ^ “Discogs”. 2024年1月20日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2024年1月20日閲覧。