クリスティーネ・ヨハンナ・バイスマン
クリスティーネ・ヨハンナ・バイスマン(Christine Johanna Buisman、1900年3月22日 - 1936年3月27日)はオランダの植物病理学者である。ニレ立枯病の原因と耐性品種の研究を行った。
レーワルデンの進歩的な家の4人兄弟の末娘にうまれた。地元の高校を卒業した後、アムステル大学で生物学を学んだ。バールンの植物病理学実験所“Willie Commelin Scholten”で働いた後、オランダ最初の女性教授ヨハンナ・ヴェシュタディーク(ohanna Westerdijk)がリーダである微生物保存センター(Centraal Bureau voor Schimmelcultures:略称CSB)で助手として働くようになった。1927年にユトレヒト大学で博士号を得た。
1926年にニレ立枯病の研究のプロジェクトが組織され、バイスマンもメンバーとなった。実験林で苗木に病症を再現させた。1929年にCSBを退職し、ベルリン=ダーレム植物園で研究を続け、その年ジュネーブの国際大学婦人連盟(International Federation of University Women)の会議に出席し、アメリカの女子大、ラドクリフ・カレッジの学長、バーニス・クロンクハイト(Bernice Cronkhite)に出会いアメリカ合衆国での研究職を得て、北米でのニレ立枯病の研究を行うが、バイスマンの滞米中にも、オランダでのニレ立枯病は蔓延し、ヨハンナ・ヴェシュタディークはバイスマンに帰国を促し、1930年にオランダに戻り、対策委員会に加わった。この疾病に関して多くの論文を書き、専門家としての地位を築いた。何千という苗からニレ立枯病に耐性を持つ個体を選抜することに成功した。
36歳で病死した。没後両親は、オランダの女性生物学研究者の海外での研究の資金を援助する財団を設立した。
参考文献
編集- Heybroek, H. M. and Nijboer, R. (2013). Christine Johanna Buisman in Italy. p. 4–6. Private publication, Netherlands.
- Faasse, P. E. (1992). In splendid isolation -a history of the Willie Commelin Scholten Phytopathology Laboratory 1894-1992, p. 106. Royal Netherlands Academy of Arts and Sciences. KNAW Press, ISBN 978-90-6984-541-8 [1]