クリスティーナ・インゲスドッテル
クリスティーナ・インゲスドッテル(スウェーデン語: Kristina Ingesdotter、? - 1122年1月18日[1])はスウェーデン王インゲ1世とその妻ヘレナ(en)との間の娘であり、ノヴゴロド公(クリスティーナの死後キエフ大公)ムスチスラフの1人目の妻となった人物である。
クリスティーナ・インゲスドッテル Kristina Ingesdotter | |
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死の床にあるクリスティーナ(左上) | |
死去 |
1122年1月18日 ベルゴロド? |
配偶者 | ノヴゴロド公ムスチスラフ |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ステンキル家 |
父親 | スウェーデン王インゲ1世 |
母親 | ヘレナ |
生涯
編集クリスティーナに関する史料はわずかであり、その誕生年は不明である。出自と結婚に関しては、1194年もしくは1195年の、フランス王フィリップ2世とその2人目の妻インゲボーとの離婚に関する文章の中の記述に基づいている[2]。具体的な結婚年に関しては、ヴァシリー・タチシチェフ(ru)は1095年であると論じたが、ポーランドの歴史家Dariusz Dąbrowskはこれに異を唱え、1090年から1096年の間であるとした[1]。
ムスチスラフとの間に複数の子をなした後、1122年に死亡した。おそらく没地はベルゴロドであるが、その埋葬地に関する史料はない。
子女
編集- インゲボルガ(1100年頃 - 1137年以降) - デンマーク王エーリク1世(ru)の子クヌーズ・レーヴァートと結婚
- マリムフリダ(1095/1102年 - 1137年以降) - ノルウェー王シグル1世(ru)、次いでデンマーク王エーリク2世と結婚
- ドブロデヤ(エヴプラクシヤ)(ru) - ビザンツ皇帝ヨハネス2世の子アレクシオス(ru)と結婚
- フセヴォロド(1095年以降 - 1138年) - ノヴゴロド公
- マリヤ(アガフィヤ)(? - 1179年) - キエフ大公フセヴォロドと結婚
- イジャスラフ(1095年以降 - 1138年) - クルスク公、キエフ大公等
- ロスチスラフ(? - 1167年) - スモレンスク公、キエフ大公等
- スヴャトポルク(? - 1154年) - ポロツク公、プスコフ公等
- ログネダ(be)(? - 1179年) - ヴォルィーニ公ヤロスラフと結婚
- クセニヤ - イジャスラヴリ公ブリャチスラフと結婚
出典
編集参考文献
編集- Войтович Л. Всеволодовичі // Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000.