クリスティアン2世 (プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト公)
クリスティアン2世(Christian II., 1637年6月22日 - 1717年4月26日)は、プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビシュヴァイラー公(在位:1654年 - 1717年)、プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト公(在位:1671年 - 1717年)。父はプファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビシュヴァイラー公クリスティアン1世、母は同族のプファルツ=ツヴァイブリュッケン=フェルデンツ公ヨハン2世の娘マグダレーナ・カタリーナ。
クリスティアン2世 Christian II. | |
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プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビシュヴァイラー公 プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト公 | |
在位 |
プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビシュヴァイラー公:1654年 - 1717年 プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト公:1671年 - 1717年 |
出生 |
1637年6月22日 |
死去 |
1717年4月26日(79歳没) |
配偶者 | カタリーナ・アガータ・フォン・ラッポルトシュタイン |
子女 | 一覧参照 |
家名 | プファルツ=ビルケンフェルト家 |
父親 | プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビシュヴァイラー公クリスティアン1世 |
母親 | マグダレーナ・カタリーナ・フォン・プファルツ=ツヴァイブリュッケン=フェルデンツ |
1654年に父の遺領を相続、弟のヨハン・カールに領土を分割、プファルツ=ビルケンフェルト=ゲルンハウゼンの成立に繋がった。1671年に息子の無いまま亡くなった従兄のプファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト公カール2世オットーの領土を継承、1673年に舅のラッポルトシュタイン伯ヨハン・ヤーコプが死去、妻と共にラッポルトシュタインを相続したが、1699年に息子のクリスティアン3世に譲った。1717年に死去、クリスティアン3世がビルケンフェルトを継承した。
子女
編集1667年、リボヴィレでラッポルトシュタイン伯ヨハン・ヤーコプの娘カタリーナ・アガータと結婚、7人の子を儲けた。
- マグダレーナ・クラウディーネ(1668年 - 1704年) - 1689年にハーナウ=リヒテンベルク伯フィリップ・ラインハルト(1664年 - 1712年)と結婚
- ルートヴィヒ(1669年 - 1670年)
- エリーザベト・ソフィア・アウグスタ(1671年 - 1672年)
- クリスティアーネ・カタリーナ(1671年 - 1673年)
- シャルロッテ・ヴィルヘルミーネ(1672年 - 1673年)
- クリスティアン3世(1674年 - 1735年)
- ルイーズ(1679年 - 1753年) - 1700年にヴァルデック侯フリードリヒ・アントン・ウルリヒと結婚
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