クリシー=ス=ボワフランス語:Clichy-sous-Bois、旧称クリシー=アン=オールノワ (Clichy en Aulnois))はフランスの都市。パリ郊外(パリから15.8キロメートル)に位置し、セーヌ=サン=ドニ県に属する。

クリシー=ス=ボワ


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) セーヌ=サン=ドニ県
(arrondissement) Le Raincy
小郡 (canton) Le Raincy
INSEEコード 93014
郵便番号 93390
市長任期 オリヴィエ・クレン
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) メトロポール・デュ・グラン・パリ
人口動態
人口 市: 30 720人
2012年
人口密度 7777人/km2
住民の呼称 Clichois
地理
座標 北緯48度54分35秒 東経2度32分53秒 / 北緯48.909722度 東経2.548056度 / 48.909722; 2.548056座標: 北緯48度54分35秒 東経2度32分53秒 / 北緯48.909722度 東経2.548056度 / 48.909722; 2.548056
標高 最低:
最高:
面積 市: 3.95km2
クリシー=ス=ボワの位置(フランス内)
クリシー=ス=ボワ
クリシー=ス=ボワ
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歴史

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地名はローマ時代のクレッピウス (Cleppius) に由来。第二次世界大戦後に、フランスの旧植民地からの移民を受け入れるために開発され、大規模な団地群が林立するようになった。移民系住民を中心とした貧困や就職難から軽犯罪が横行するようになり、「危険なバンリュー」とみなされている。

治安

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2005年に起こったパリ郊外暴動事件の発端となった。暴動の発端は、クリシー=ス=ボワ市において、移民系の若者が警察に追跡され、変電所に逃げ込んで感電死したことに対して、住民が警察や消防署を投石などによって襲撃したことによる。この暴動は後にフランス全土に拡大していった。

人口推移

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1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2011年 2012年
16 357 22 422 24 654 28 180 28 288 29 412 29 835 30 720

参照元:1999年までLdh/EHESS/Cassini[1]、2004年以降INSEE[2][3]

ギャラリー

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出身者

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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