クイド・マーネス
クイド・マーネス(Quido Mánes、Guido Manesとも、1828年7月17日 - 1880年8月5日)は、チェコの画家である。チェコで有名な画家、ヨゼフ・マーネスの弟で、風俗画を描いた[1]。
クイド・マーネス Quido Mánes | |
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1867年のクイド・マーネス | |
生誕 |
1828年7月17日 プラハ |
死没 |
1880年8月5日 (52歳没) プラハ |
略歴
編集プラハの多くの画家をだした家系の出身である。父親のアントニーン・マーネス(Antonín Mánes:1784-1843)は風景画家で、叔父のヴェンツェル・マーネス(Wenzel Mánes:1793-1858)も画家で、プラハの絵画学校の校長だった。兄のヨゼフ・マーネス(Josef Mánes:1820-1871)や姉のアマーリエ・マーネソーヴァー(Amalie Mánesová)も画家になった。
父親や叔父の力で、10歳でプラハの美術アカデミーに入学を許され、フランティシェク・カドリーク(František Tkadlík)やクリスティアン・ルーベンに学んだ。1866年ころに兄のヨゼフ・マーネスが重病になり、画家の仕事を中断して、兄の世話をした[1] 。1871年に兄が亡くなった後、デュッセルドルフ美術アカデミーで、風俗画を得意とするバンジャマン・ヴォーティエのもとで1年ほど学び、画家として再出発した。
兄の死後、心臓病に悩まされ、独身のまま、姉のアマーリアとともにプラハに住み、プラハで亡くなった。
兄のヨゼフ・マーネスに比べて評価は高くないとされるが、チェコの民族衣装を着た少女などの風俗画で知られている。
作品
編集-
少女 (c.1860)
-
七面鳥と少女
プラハ国立美術館 -
年老いた独身者 (1863)
プラハ国立美術館 -
鏡の前の農家の女性 (1872)
プラハ国立美術館
脚注
編集参考文献
編集- Constantin von Wurzbach: Manes, die Künstlerfamilie. In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. 16. Theil. Kaiserlich-königliche Hof- und Staatsdruckerei, Wien 1867, S. 368–371 (Digitalisat).
- Rudolf Müller: Manes, Guido. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 20, Duncker & Humblot, Leipzig 1884, S. 185 f.
- Quido Mánes. Ausstellungskatalog. Prag 1937
- V. Kratinová: Mánes Quido. In: Österreichisches Biographisches Lexikon 1815–1950 (ÖBL). Band 6, Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien 1975, ISBN 3-7001-0128-7, S. 51.
- Manes, Guido. In: Hermann Alexander Müller: Biographisches Künstler-Lexikon. Verlag des Bibliographischen Instituts, Leipzig 1882, S. 351.