ギリス・ファン・コーニンクスロー
ギリス・ファン・コーニンクスローまたはヒリス・ファン・コーニンクスロー(Gillis van Coninxloo、1544年1月24日 – 1607年1月4日[1])はフランドルの画家である。
ギリス・ファン・コーニンクスロー Gillis van Coninxloo | |
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Andries Jacobsz Stockによる肖像画 | |
生誕 |
1544年1月24日 アントウェルペン |
死没 |
1607年 アムステルダム |
略歴
編集アントウェルペンに画家ヤン・ファン・コーニンクスロー(Jan van Coninxloo)の息子に生まれた。兄のハンス・ファン・コーニンクスロー(Hans van Coninxloo:1540-1595)も画家になった。ピーテル・クック・ファン・アールスト(Pieter Coecke van Aelst)やレナールト・クロース(Lenaert Kroes)、ヒリス・モスタールト(Gillis Mostaert)のもとで修行をし、1570年にアントウェルペンのサン・ルカ組合のメンバーになり、アントウェルペンで働いた。アントウェルペン時代に、有名な画家、ピーテル・ブリューゲルの2人の息子、ピーテル・ブリューゲルIIとヤン・ブリューゲルの兄弟を弟子にしている。
1585年にカトリック派のパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼが率いるスペイン軍がアントウェルペンを占領すると、新教徒のコーニンクスローは、ミデルブルフに逃れ、1587年にラインラントのフランケンタールに移り、そこでアントン・ミロウ(Anton Mirou: 1578 – 1621/1627)やピーテル・スハウブルーク(Pieter Schoubroeck: 1570/1573-1607)といった風景画家たちの中心的な存在として活動した。1595年にアムステルダムに移り、1597年に市民権を取得した。1607年にアムステルダムで没した。
16世紀末から、17世紀初めにおけるフランドルの最も重要な風景画家とされ、深い森の風景や高い位置から俯瞰したような構図で描く「Weltlandschaft」というスタイルの風景画を描き、多くのフランドルの画家に影響を与えた。
作品
編集参考文献
編集- Wilhelm Schmidt: Conincxloo, Aegidius van. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 4, Duncker & Humblot, Leipzig 1876, S. 438.
- Klaus Ertz: Coninxloo, Gillis III van. In: Allgemeines Künstlerlexikon. Die Bildenden Künstler aller Zeiten und Völker (AKL). Band 20, Saur, München u. a. 1998, ISBN 3-598-22760-4, S. 522.
- Martin Papenbrock: Landschaften des Exils. Gillis van Coninxloo und die Frankenthaler Maler (= Europäische Kulturstudien. Bd. 12). Böhlau, Köln u. a. 2001, ISBN 3-412-16100-4.
- Nils Büttner: Landschaften des Exils? Anmerkungen zu Gillis van Coninxloo und zur Geschichte der flämischen Waldlandschaft aus Anlass einer Neuerscheinung. In: Zeitschrift für Kunstgeschichte 66, 2003, S. 546–580.
- Anja Ritter: Jagd im Wald – religiöser Kontext innerhalb Gillis van Coninxloo's Spätwerken. Diplomica Verlag, Hamburg 2013, ISBN 978-3-8428-8606-3.
出典
編集- ^ “Gillis van Coninxloo”. Oxford Reference. 2024年6月17日閲覧。