ギュンター・フォン・シュヴァルツブルク
ギュンター・フォン・シュヴァルツブルク(Günther von Schwarzburg, 1304年 - 1349年6月14日)は、14世紀の神聖ローマ帝国におけるカール4世に対する対立王(在位:1349年)。ブランケンブルク伯ハインリヒ7世の子[1]。シュヴァルツブルク=ブランケンブルク伯(21世)[1]。
ギュンター(21世)・フォン・シュヴァルツブルク Günther (XXI) von Schwarzburg | |
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ドイツ対立王 | |
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在位 | 1349年1月30日 - 5月24日 |
別号 | シュヴァルツブルク=ブランケンブルク伯 |
出生 |
1304年 |
死去 |
1349年6月14日 |
埋葬 | フランクフルト大聖堂 |
家名 | シュヴァルツブルク家 |
父親 | シュヴァルツブルク=ブランケンブルク伯ハインリヒ7世 |
1349年1月30日、フランクフルトでバイエルン公兼ブランデンブルク辺境伯ルートヴィヒ5世によってカール4世の対立王に擁立された[2]。しかしカール4世が優位の状況に追い詰められ、同年5月24日に退位を宣言し[3]、間もなく死去。
脚注
編集参考文献
編集- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
- 瀬原義生 『ドイツ中世後期の歴史像』 文理閣、2011年