ギヤースッディーン・マフムード
ギヤースッディーン・マフムード(? - 1212年)は、アフガニスタンを支配したゴール朝の第8代スルターン(在位:1206年 - 1210年)。
ギヤースッディーン・マフムード | |
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ゴール朝第8代スルターン | |
在位 | 1206年 - 1210年 |
死去 |
1212年 |
子女 | バハー・ウッディーン・サーム3世 |
王朝 | ゴール朝 |
父親 | ギヤースッディーン・ムハンマド |
生涯
編集父は第6代スルターンのギヤースッディーン・ムハンマド。父の死後、スルターン位は叔父のシハーブッディーンが継いでゴール朝はインド北部にまで勢力を拡大して全盛期を迎えたが、その叔父が1206年に死去したため、後を継いだ。ところが叔父が在位4年で急死したために体制が整っておらず、若年のマフムードでは歴戦の宿将らを統制することはかなわなかった。
このため、叔父からインド統治を任されていたアイバクをはじめ、ケルマンやガズナを支配していたタージ・ウッディーン・イルディス、ムルタンで勢力を誇るナースィル・ウッディーン・カバーチャらが自立してしまい、ゴール朝の領土は著しく縮小した。
マフムードはアイバクの自立を認める一方で、他の両名を討伐しようとしたが果たせず、1212年に暗殺された。刺客はアイバク、あるいは父時代からの敵対国であるホラズム・シャー朝によるものともいわれる。[要出典]
子のバハー・ウッディーン・サーム3世が後を継いだが、その後のゴール朝では内紛が相次いで急速に衰退する。
参考文献
編集
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