キリノッチ県

スリランカの県

キリノッチ県(キリノッチけん、タミル語: கிளிநொச்சி மாவட்டம் Kiḷinocci Māvaṭṭam、シンハラ語: කිලිනොච්චි දිස්ත්‍රික්කය英語: Kilinochchi District)は、スリランカ北部州に属する。県都はキリノッチ

キリノッチ県

கிளிநொச்சி மாவட்டம்
කිලිනොච්චි දිස්ත්‍රික්කය
Kilinochchi District
パランタン(英語版)
キリノッチ県
キリノッチ県
北緯09度25分 東経80度25分 / 北緯9.417度 東経80.417度 / 9.417; 80.417座標: 北緯09度25分 東経80度25分 / 北緯9.417度 東経80.417度 / 9.417; 80.417
スリランカの旗 スリランカ
北部州(スリランカ)の旗 北部州
設立 1984年2月
県都 キリノッチ
政府
 • 県次官 Rupavathi Ketheeswaran
面積
 • 合計 1,279 km2
 • 陸地 1,205 km2
 • 水域 74 km2  5.79%
面積順位 23位(国土全体の1.95%)
人口
(2012年)[2]
 • 合計 112,875人
 • 順位 23位(総人口の0.56%)
 • 密度 88人/km2
民族
(2012年)[2]
 • スリランカ・タミル 109,528 (97.03%)
 • インド・タミル 1,682 (1.49%)
 • シンハラ 962 (0.85%)
 • スリランカ・ムーア 678 (0.60%)
 • その他 25 (0.02%)
宗教
(2012年)[3]
 • ヒンドゥー教 93,084 (82.47%)
 • キリスト教 18,118 (16.05%)
 • 仏教 945 (0.84%)
 • イスラム教 678 (0.60%)
 • その他 50 (0.04%)
等時帯 UTC+5:30 (スリランカ標準時)
ISO 3166コード LK-42
ナンバープレート NP
公用語 タミル語シンハラ語

歴史

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LTTEの軍事パレード(キリノッチ2002年

現在のキリノッチ県の領域は、紀元前5世紀から13世紀までラジャラタ英語版と呼ばれる王権の一部であった。13世紀から植民地時代までの期間は、キリノッチ県は北部のジャフナ王国の支配下に置かれていた。[4] ジャフナ王国の滅亡後、この地は時代とともにポルトガルオランダ、そしてイギリスの支配下に入った。1815年、イギリスはセイロン島の支配を確立すると、全島を低地シンハラ、高地シンハラ、タミルの3つの民族を基準とする行政区域に分割した。この当時キリノッチ県の領域はジャフナ県に含まれており、ジャフナ県はタミル行政区域の一部とされた。1833年コールブルーク・キャメロン委員会英語版の提言により、民族別の行政区域は廃止され、新たに5つの地形に基づいたが設立された。[5] ジャフナ県はマンナール県、ワンニ県とともに北部州を構成する県の一つとなった[6]

1936年ジャフナ半島の人口過密・失業問題対策の一環として、キリノッチ県の領域に対する入植計画が実施された[7]1948年のスリランカ独立後も北部州の行政区画は引き継がれたが、ジャフナ県の一部は1978年9月に新たに誕生したムッライッティーヴー県へと移り、さらに1984年2月には残る南部地域が分離されキリノッチ県が誕生した。

スリランカ内戦中、キリノッチ県は長期に渡り反政府組織タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) の支配下に入っていた。政府がその支配を回復したのは、スリランカ軍が奪還を果たした2009年初頭のことである。

地理

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キリノッチ県はスリランカ最北の北部州のさらに北部中央のインド洋に面した沿岸部に位置している。面積は1,279 km2[1]、県域は北でジャフナ県、南でムッライッティーヴー県、南西でマンナール県と接する。県庁所在地であるキリノッチは、県の東西中央付近に位置している。

行政区画

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キリノッチ県は4つの(DS地区)から構成されている[8]。郡はさらに95のGN地区から構成されている[8]

郡(DS地区) 主要な都市
及び町
GN
地区[8]
面積[8][9]
(km2)
人口(2012年国勢調査)[10] 人口
密度
(/km2)
スリランカ・タミル インド・タミル シンハラ スリランカ・ムーア その他 合計
Kandavalai Kandavalai 16 318 22,920 7 58 17 1 23,003 72
Karachchi キリノッチ 42 358 58,901 1,501 533 178 24 61,137 171
Pachchilaipalli Pallai 18 164 8,274 6 222 8 0 8,510 52
Poonakary プーネリン英語版 19 439 19,433 168 149 475 0 20,225 46
合計 95 1,279 109,528 1,682 962 678 25 112,875 88

人口動態

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2012年時点のキリノッチ県の人口は111,210人[2]。人口の大半はスリランカ・タミルから構成される。

キリノッチ県の人口動態は北部州の他県や東部州と同じように、2009年まで続いた内戦により大きな影響を受けている。この内戦における死者は10万人に上ると推定されており[11]、また内戦期間を通じて、数十万から百万とも言われるタミル人が西側諸国などへ移住英語版した[12]。それ以外でも、多くのタミル人が比較的安全なコロンボへと移住している。さらに県内にいたスリランカ・ムーアシンハラ人といったタミル人以外の民族グループの多くが、タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) により他の地域へと追放された。

民族

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民族別の人口(1981年-2012年)[2][13][14]
タミル[15] シンハラ ムスリム[16] その他 合計
人口
人口 % 人口 % 人口 % 人口 %
1981年国勢調査 89,197 97.33% 741 0.81% 1,567 1.71% 136 0.15% 91,641
1999年推計 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a 156,428
2000年推計 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a 154,015
2001年推計 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a 148,052
2002年推計 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a 153,721
2003年推計 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a 140,145
2004年推計 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a 140,920
2005年推計 165,781 99.77% 2 0.00% 383 0.23% 0 0.00% 166,166
2006年推計 196,611 99.78% 2 0.00% 424 0.22% 0 0.00% 197,037
2007年推計 195,386 99.78% 2 0.00% 424 0.22% 0 0.00% 195,812
2008年推計 190,599 99.78% 2 0.00% 424 0.22% 0 0.00% 191,025
2009年推計 22,099 93.54% 1 0.00% 1,525 6.46% 0 0.00% 23,625
2011年調査 102,779 99.10% 138 0.13% 774 0.75% 26 0.03% 103,717
2012年国勢調査 111,210 98.52% 962 0.85% 678 0.60% 25 0.02% 112,875

脚注

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  1. ^ a b Area of Sri Lanka by province and district”. Statistical Abstract 2010. Department of Census & Statistics, Sri Lanka. 2013年3月17日閲覧。
  2. ^ a b c d A2 : Population by ethnic group according to districts, 2012”. Department of Census & Statistics, Sri Lanka. 2013年3月17日閲覧。
  3. ^ A3 : Population by religion according to districts, 2012”. Department of Census & Statistics, Sri Lanka. 2013年3月17日閲覧。
  4. ^ De Silva, K. M. (1981). A History of Sri Lanka. ニューデリー: オックスフォード大学出版局. pp. xvii. http://www.noolaham.org/wiki/index.php?title=A_History_of_Srilanka 
  5. ^ Mills, Lennox A. (1933). Ceylon Under British Rule (1795 - 1932). London: オックスフォード大学出版局. pp. 67-68. http://www.noolaham.org/wiki/index.php?title=Ceylon_Under_British_Rule_%281795_-_1932%29 
  6. ^ Medis, G. C. (1946). Ceylon Under the British (2nd (revised) ed.). Colombo: The Colombo Apothecaries Co.. pp. 39-40. http://www.noolaham.org/wiki/index.php?title=Ceylon_Under_the_British 
  7. ^ Manogaran, Chelvadurai (1987). Ethnic conflicts and reconciliation in Sri Lanka. University of Hawaii Press. pp. 90. ISBN 0-8248-1116-X. https://books.google.co.jp/books?id=4IdR9N9R7T4C&pg=PA228&dq=Iranamadu+colony&hl=en&ei=6eLMS5n5JoqUMcD7haIF&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=Iranamadu&f=false 
  8. ^ a b c d Statistical Information 2012”. 北部州. 2013年3月17日閲覧。
  9. ^ Land area by province, district and D.S division”. Statistical Abstract 2010. Department of Census & Statistics, Sri Lanka. 2013年3月17日閲覧。
  10. ^ A6 : Population by ethnicity and district according to Divisional Secretary's Division, 2012”. Department of Census & Statistics, Sri Lanka. 2013年3月17日閲覧。
  11. ^ Up to 100,000 killed in Sri Lanka's civil war: UN”. ABCニュース (20 May 2009). 2013年1月16日閲覧。
  12. ^ Harrison, Frances (23 July 2003). “Twenty years on - riots that led to war”. BBCニュース. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/3090111.stm 
  13. ^ Statistical Information 2010”. 北部州. 2013年3月17日閲覧。
  14. ^ Enumeration of Vital Events 2011 - Northern Province”. Department of Census & Statistics, Sri Lanka. 2013年3月17日閲覧。
  15. ^ スリランカ・タミルインド・タミルを含む。
  16. ^ スリランカ・ムーア、インド・ムーアを含む。