カール=マルクス=アレー
カール=マルクス=アレー(ドイツ語: Karl-Marx-Allee, カール・マルクス並木通り)は、旧東ベルリン地区にある大通り。


アレクサンダー広場よりフランクフルト門まで約2.5kmほどの長さであり(Google マップ)、その後はフランクフルト (オーダー)に方面へ延びるフランクフルト並木通りに続く。
1949年に当初「スターリンアレー(Stalinallee, スターリン並木通り)」と改称されたが、スターリン批判の流れを受け1961年に現名称「カール=マルクス=アレー」となった。
沿道には1952年から1960年にスターリン様式の建築物が建設された[1]。この建設作業中の1953年6月16日、スターリン=アレー(当時)の建設作業者が東ドイツ政府のノルマ引上に反対してストライキを起こし、これが発端となって東ベルリン暴動へと発展した[2]。
建設工事の完成後、東ドイツが消滅するまでは国家的な行事を行う首都の大通りとしての役割を与えられ、メーデーのパレードや10月7日の建国記念日などに行われる国家人民軍の軍事パレードなどが行われていた。