カール・ラパン
オーストリアのサッカー選手
カール・ラパン(Karl Rappan, 1905年9月26日 - 1996年1月2日)は、オーストリアのサッカー選手、サッカー指導者[1]。主にスイスを活動の拠点としていた。
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カール・ラパン (1969) | ||||||
基本情報 | ||||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集サッカースイス代表監督を4期務め、3度ワールドカップへと導いている。セルヴェッテで監督を務めていた1931年に「ヴェルウ・ディフェンス」あるいは「スイス・ボルト」と呼ばれる守備的なフォーメーションを発明したことで知られる[2]。ラパンの陣形は1947年にネレロ・ロッコによってイタリアに持ち込まれて普及し、1953年にインテルを指揮したアルフレッド・フォニはこのシステムでスクデットを獲得している[2]。その後、スイス・ボルトはイタリアにて改良が加えられ、エレニオ・エレーラによって「カテナチオ」と呼ばれる独自の戦術へと発展した[3]。