カルロ・クディチーニ

イタリアのサッカー選手

カルロ・クディチーニ(Carlo Cudicini, 1973年9月6日 - )は、イタリアロンバルディア州ミラノ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー

カルロ・クディチーニ
名前
ラテン文字 Carlo CUDICINI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-09-06) 1973年9月6日(51歳)
出身地 ミラノ
身長 185cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1995
1993-1994
1995-1996
1996-1997
1997-2000
1999-2000
2000-2009.1
2009.1-2012
2013-2014
イタリアの旗 ミラン
イタリアの旗 コモ(loan)
イタリアの旗 プラート
イタリアの旗 ラツィオ
イタリアの旗 カステルディサングロ
イングランドの旗 チェルシー(loan)
イングランドの旗 チェルシー
イングランドの旗 トッテナム
アメリカ合衆国の旗 LAギャラクシー
0 (0)
6 (0)
30 (0)
1 (0)
46 (0)
1 (0)
142 (0)
20 (0)
21 (0)
代表歴
1990-1992
1992-1993
イタリアの旗 イタリア U-18
イタリアの旗 イタリア U-21
20 (0)
1 (0)
監督歴
チーム
2015-2016 アイルランドの旗 アイルランド U-21 (GKコーチ)
2016- イングランドの旗 チェルシー (アシスタントコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年5月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

父親は、ACミラン等で活躍した元イタリア代表ファビオ・クディチーニ

経歴

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選手時代

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1991年に父・ファビオが活躍したイタリアのACミランでキャリアをスタートさせる。一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴の堅実な選手で、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつであり、セリエAでの出場はSSラツィオ在籍時の1試合のみだったが、活躍の場をイングランドへ移してから、その能力が高く評価されることとなった。

1999年に同じイタリア人であるジャンルカ・ヴィアリ監督の率いるチェルシーFCへレンタル移籍。完全移籍した翌2000-2001シーズンには、同じくイタリア人であるクラウディオ・ラニエリ監督の信頼を得て、エド・デ・フーイを抑えて正GKの座を勝ち取った。至近距離からのシュートへの反応の鋭さは目を見張るものがあり、チームの守護神として欠かせない存在になっていった。ファンからの信頼も厚く、2001-2002シーズンにはファン投票によるチームの最優秀選手に選ばれている。

2002-2003シーズンには、プレミアリーグ年間最優秀ゴールキーパーの証である「ゴールデングラブ賞」を受賞。さらにはイングランド代表であるデビッド・シーマンの後継者としてクディチーニのイングランド国籍取得を望む声が上がるなど、リーグ屈指のGKとして評価されていた。

結局、クディチーニ本人がイングランド代表入りに興味を示すことはなく、イタリア代表の座を目指しプレーを続けたが、イタリア代表としてはジャンルイジ・ブッフォンフランチェスコ・トルドら実力者の存在の前に出場機会が訪れることはなかった。

チェルシーの守護神の座は不動のものであると思われていたが、2004-2005シーズンにその状況は一変する。新監督のジョゼ・モウリーニョと共にやって来たチェコ代表ペトル・チェフにポジションを奪われ、出場機会を大きく減らした。そんな中クディチーニには他チームから多くのオファーが寄せられたが、それらを全て断ってチェルシーに残留。チェフが欠場した際には安定したプレーを披露し、長らく第2GKとしてチームを支える存在となっていた。

2009年1月26日に約10年間在籍したチェルシーを去り、同じロンドントッテナム・ホットスパーFCへと移籍。ここでも第2GKとして、ゴメスの欠場時に穴を埋める働きをしている。

11月12日、ロンドン市内でバイクを運転中に乗用車と激突[1]。両腕の骨折と骨盤の損傷という重傷を負い、2009-2010シーズンを棒に振るだけでなく一時は選手生命も危ぶまれたが、11月16日に手術を受けて無事成功し、長きにわたるリハビリの末に2010年7月10日AFCボーンマスとのプレシーズンマッチで復帰[2]2010-2011シーズンはゴメスの不調もあり終盤戦はレギュラーとして出場した。2011-2012シーズンはアストン・ヴィラから加入したブラッド・フリーデル、ゴメスに次ぐ第3GKと目されていたが、ゴメスは前シーズンにミスを連発したためハリー・レドナップ監督の信頼を失ってベンチ外になる試合が多く、引き続き第2GKとして起用された。2012-13シーズンはウーゴ・ロリスの加入により第3GKとなっている。

2012年12月31日アメリカロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍[3]

2014年1月26日、ロサンゼルス・ギャラクシーを退団と同時に現役引退。

現役引退後

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現役引退後はサッカー指導者に転身、UEFAのB級コーチライセンスを取得、2015年3月24日アイルランドU-21代表のゴールキーパーコーチ就任が発表された。また同年からは古巣チェルシーのクラブアンバサダーとしても活動。

2016年7月、チェルシーの監督に就任した同郷のアントニオ・コンテの要請を受け、アシスタントコーチに就任。

所属クラブ

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  コモ・カルチョ 1993-1994(レンタル移籍
  チェルシーFC 1999-2000(レンタル移籍)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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