カラン・シング
カラン・シング(Karan Singh、1931年3月9日 - )は、インドの政治家、外交官、学者。インド国民会議派の重鎮。
カラン・シング Karan Singh | |
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生年月日 | 1931年3月9日(93歳) |
出生地 | フランスカンヌ |
称号 | Ph.D.(デリー大学) |
親族 | ハリ・シング(父) |
在任期間 | 1952年11月17日 - 1965年3月30日 |
初代ジャンムー・カシミール州知事 | |
在任期間 | 1965年3月30日 - 1967年3月15日 |
経歴
編集ジャンムー・カシュミール藩王国の藩王ハリ・シングの息子として生まれた。
カシュミール大学を卒業。国立デリー大学で博士号を取得。
1965年から1967年まで、初代ジャンムー・カシミール州知事を務めた[1]。1967年、下院議員に当選。その後、下院議員に4期連続当選した。
36歳で入閣。観光・航空相、健康・家族計画相、教育文化相を歴任した。
ジャンムー・カシュミール大学総長、ベナレス・ヒンドゥー大学総長、ICCR(インド文化関係評議会)の副会長を歴任。世界ヒンディー語財団の会長も務めた。
関連項目
編集- ハリ・シング(父)