カア
エジプト第1王朝のファラオ
カア(Qa'a)はエジプト第1王朝最後のファラオで、アビュドスには30×23mにも及ぶ巨大な墓がある[1]。マネトの記録の中のビエネケスと同一人物であれば、26年間の治世であったことになる[2]。治世が長かったことは、墓が巨大であることからも窺うことができる。1993年からのドイツ考古学会による発掘調査で、生贄の墓が26個も作られていたことが分かった.[2]。また、墓の入り口近くから、ボエトスの名前の印が押されているのが見つかった[3]。このことにより、マネトが書いたように、カアの死後、ボエトスが即位し、エジプト第2王朝を興したことが確認された。
カア | ||||||||||||||
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Qa'a | ||||||||||||||
カアの墓の石碑 | ||||||||||||||
古代エジプト ファラオ | ||||||||||||||
統治期間 | 前2916年頃 - 前2890年頃,エジプト第1王朝 | |||||||||||||
前王 | セメルケト | |||||||||||||
次王 | ヘテプセケメイ / ボエトス | |||||||||||||
ファラオ名 (五重称号)
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父 | セメルケト | |||||||||||||
埋葬地 | ウンム・エル=カアブ |
この地で2回目の、長期在位を祝う祭(Sed festival)が開かれたことと、墓に多くの石碑が建てられていたことから、カアの治世は相当安定し、繁栄した時代だったことが窺える。カアの名前は、「彼の左腕は挙げられる」(His Arm is Raised)という意味に訳される[4]。
カアは紀元前2916年頃、エジプトを統治していたと考えられている。
出典
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