オーブリー・ボークラーク (第6代セント・オールバンズ公爵)
第6代セント・オールバンズ公爵オーブリー・ボークラーク(英語: Aubrey Beauclerk, 6th Duke of St Albans、1765年8月21日 – 1815年8月12日)は、イギリスの貴族。1787年から1802年までバーフォード伯爵の儀礼称号を使用した。
オーブリー・ボークラーク Aubrey Beauclerk | |
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第6代セント・オールバンズ公 | |
レミュエル・フランシス・アボットによる肖像画、1802年以前。 | |
在位 | 1802年 - 1815年 |
出生 |
1765年8月21日 |
死去 |
1815年8月12日(49歳没) |
配偶者 | メアリー・モーセス |
ルイーサ・グレース・マナーズ | |
子女 |
メアリー オーブリー |
家名 | ボークラーク家 |
父親 | 第5代セント・オールバンズ公オーブリー・ボークラーク |
母親 | キャサリン・ポンソンビー |
生涯
編集第5代セント・オールバンズ公爵オーブリー・ボークラークとキャサリン・ポンソンビー(1742年 – 1789年)の長男として、1765年8月21日に生まれた[1]。1781年にエンサインとして近衛歩兵第1連隊に入隊、1783年に第45歩兵連隊に転じて大尉近衛兵になり、同年にさらに第34歩兵連隊に転じた後、1789年に少佐、ついで中佐に昇進、1794年に軍務から引退した[2]。
1790年イギリス総選挙でキングストン・アポン・ハル選挙区から出馬して当選したが、病弱だったためか議会で演説した記録はなかった(投票記録はあった)[2]。1802年2月9日に父が死去すると、セント・オールバンズ公爵の爵位を継承[1]、貴族としてもホイッグ党員を支持し続けた[2]。
家族
編集1788年7月9日、メアリー・モーセス(Mary Moses、1800年8月18日没、ジョン・モーセスの娘)と結婚、1女を儲けた[1]。
- メアリー(1791年 – 1845年9月11日) - 1811年11月6日、第8代コヴェントリー伯爵ジョージ・コヴェントリーと結婚、子供あり
1802年8月15日、ルイーサ・グレース・マナーズ(1777年 – 1816年2月19日、ジョン・マナーズの娘)と再婚、1男を儲けた[1]。
- オーブリー(1815年 – 1816年) - 第7代セント・オールバンズ公爵
脚注
編集- ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1756.
- ^ a b c Collinge, J. M. (1986). "BEAUCLERK, Aubrey, Earl of Burford (1765-1815).". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月16日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 サミュエル・ソーントン ウォルター・スペンサー=スタンホープ |
庶民院議員(キングストン・アポン・ハル選挙区選出) 1790年 – 1796年 同職:サミュエル・ソーントン |
次代 サミュエル・ソーントン サー・チャールズ・ターナー準男爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 オーブリー・ボークラーク |
セント・オールバンズ公爵 1802年 – 1815年 |
次代 オーブリー・ボークラーク |