オルローフスキイ・コムソモーレツ (警備艦)

オルローフスキイ・コムソモーレツ(ロシア語:Орловский комсомолецアルローフスキイ・カムサモーリェツ)は、ソ連警備艦(Сторожевой корабль)である。艦名は「オリョールコムソモール員」という意味。

PLK-21
SKR-21
オルローフスキイ・コムソモーレツ
艦歴
PLK-21
ПЛК-21
起工 1964年12月29日 第368造船工場
SKR-21
СКР-21
改称 1966年5月19日
進水 1966年6月30日
竣工 1966年12月31日
所属 ソ連海軍太平洋艦隊
オルローフスキイ・コムソモーレツ
Орловский комсомолец
改称 1979年3月12日
所属 ソ連海軍太平洋艦隊
除籍 1991年2月15日
解体 1991年6月1日
要目
艦型 159-A号計画型
艦種 警備艦
工場番号 36
排水量 基準排水量 970 t
満載排水量 1110 t
全長 81.8 m / 78 m(喫水線長)
全幅 9.2 m / 8.9 m(喫水線長)
喫水 5.8 m / 2.85 m(中間部)
機関 CODAG機関M-2
ガスタービン機関M-2B 2 基
合計出力 30000 ht / 22050 kWt
ディーゼル機関61B 1 基
出力 6000 ht / 4410 kWt
スクリュー 3 基
操舵装置 2 基
速力 33 kn
航続距離 2000 /14 kn
活動期間 10 日
乗員 士官 9 名
水兵 99 名
武装 76.2 mm連装AK-726 2 基
400 mm4連装魚雷発射管ChTA-40-159A 2 基
12連装対ロケット砲RBU-6000「スメールチ2」 2 基
対潜ロケット弾RGB-60 96 発
爆雷投射機 2 基
爆雷BB -
機雷 20 - 30 個
指揮 戦闘情報統禦装置「プランシェート59」
電探 汎用捜索電探「フートN」 1 基
航法レーダー「ドン2」 1 基
FCS
射撃管制レーダーMR-105「トゥレーリ」(主砲用) 1 基
ソナー 「チターン」
「ヴィーチェグダ」
EW 電子戦対抗装置「ビザーニ4B」
通信 通信装備一式
IFF 「ニフローム」

概要

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建造

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オルローフスキイ・コムソモーレツは、ロシア共和国ハバロフスクS・M・キーロフ記念第368造船工場159-A号計画型警備艦1番艦として建造された。[1]この艦型は、ディーゼルガスタービン混合機関(CODAG)を搭載する1000 t級の対艦159号計画型の発展型で、ソ連海軍の中堅艦として大量生産が予定されていた。

1964年12月29日に工場番号36号艦として起工、1966年3月12日付けでPLK-21(ПЛК-21)としてソ連海軍に編入された。「PLK」(ПЛК)とは、「対潜艦」(Противолодочный корабль)の略号である。しかし、同年5月19日には警備艦(Сторожевой корабль)に艦種変えとなり、艦名はSKR-21(СКР-21)に改められた。その後、6月30日には進水12月31日には竣工、翌1967年1月14日付けで赤旗受賞太平洋艦隊に配備された。

現役

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1970年12月31日から1971年5月31日にかけてと1974年12月24日から1975年7月1日にかけてウラジオストクソ連50周年記念「ダリザヴォート」で中期修理を受けた。1979年3月12日付けで艦名はオルローフスキイ・コムソモーレツに改められた。

1988年12月16日から1989年10月1日にかけての間、オルローフスキイ・コムソモーレツは「ダリザヴォート」でオーバーホールを受けた。しかし、オーバーホールは完了せず、1989年10月1日に事実上現役を退いた。

その後、SKR-21はノヴィーク湾モスボールに入れられた。1991年2月15日には正式に海軍より除籍され、解体・売却のため資金資産局への引渡されることとなった。解体作業は、同年6月1日には完了した。

脚注

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  1. ^ そのため、159-A型はオルローフスキイ・コムソモーレツ級SKR-21級などの艦級名で呼ばれる。

関連項目

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外部リンク

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