オルレアン=ロングヴィル家
オルレアン=ロングヴィル家(Orléans-Longueville)は、フランスの貴族家門。ヴァロワ=オルレアン家の庶系の分家。オルレアン公ルイが愛妾マリエット・ダンギャンとの間にもうけた庶子ジャン・ド・デュノワ(1402年 - 1468年)をその始祖とする。
ジャン・ド・デュノワは「オルレアン家の私生児(Bâtard d’Orléans)」と呼ばれ、百年戦争ではジャンヌ・ダルクの戦友として活躍、1443年にロングヴィル伯爵領(Comté de Longueville)を授けられた。その孫のフランソワ2世(1478年 - 1512年)は1505年、伯爵から公爵に陞爵した。
その弟ルイ1世(1480年 - 1516年)はバーデン=ハッハベルク=ザウセンベルク辺境伯フィリップの一人娘ヨハンナとの結婚を通じて、スイスのヌーシャテル伯爵領を相続した。ヌーシャテル伯領の獲得を根拠に、ルイ1世は「プランス・エトランジェ(prince étranger、外国王侯の分家筋)」の称号を獲得し、他のフランス人諸侯たちよりも上位に列せられた。1525年、その息子のルイ2世(1510年 - 1536年)のときに、ロングヴィル公爵位はフランス王国の同輩公(Pairie de France)に列せられた。
1571年、第6代公爵のレオノール(1540年 - 1573年)は「プランス・デュ・サン(Prince du sang、傍系王族)」の称号とフランス王位継承権を与えられた。これは王家の庶子の家系に対する措置としては、異例の厚遇であった。1672年、第10代公爵シャルル・パリ(1649年 - 1672年)はポーランド・リトアニアの国王候補となったが、急死により王位獲得は成らなかった。
ロングヴィル家の男系は1694年に絶え、ロングヴィル公爵領はフランス王領に回収された。1707年、最後の女子相続人だったヌムール公爵夫人マリー(1625年 - 1707年)の死と同時にロングヴィル家は最終的に途絶えた。彼女の死に伴い、ヌーシャテル侯領の等族は次の統治者としてプロイセン王家を選び、1857年まで同家を領主に戴いた。
系図
編集ルイ オルレアン公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(庶子) ジャン デュノワ伯 ロングヴィル伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァロワ=オルレアン家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランソワ1世 (1447-1491) ロングヴィル伯 | アニェス (サヴォイア公ルドヴィーコ娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランソワーズ (アランソン公ルネ娘) | フランソワ2世 (1478-1513) ロングヴィル公 | ルイ1世 (-1516) ロングヴィル公 ヌーシャテル伯 | ヨハンナ (ハッハベルク=ザウセンベルク辺境伯フィリップ娘) | ジャン (-1533) オルレアン司教 枢機卿 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルネ (1508-1515) デュノワ女伯 | ジャック (1511-1512) | クロード (-1524) ロングヴィル公 ヌーシャテル伯 | ルイ2世 (-1537) ロングヴィル公 ヌーシャテル伯 | マリー (ギーズ公クロード娘) | シャーロット (-1549) =ヌムール公フィリップ(サヴォイア家) | ジャクリーヌ (フロンサック子爵シャルル・ド・ロアン娘) | フランソワ (-1548) ロトラン侯 | フランソワーズ・ブロセ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランソワ3世 (-1551) ロングヴィル公 ヌーシャテル伯 | マリー エストゥートヴィル女公 サン=ポル女伯 (エストゥトヴィル公フランソワ1世娘) | レオノール (-1573) ロングヴィル公 ヌーシャテル伯 | フランソワーズ (-1601) | ルイ1世 コンデ公 | (庶子) オルレアン=ロトラン家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カトリーヌ (ヌヴェール公ルドヴィーコ娘) | アンリ1世 (-1595) ロングヴィル公 ヌーシャテル伯 | フランソワ (1570-1631) フロンサック公 サン=ポル伯 | アンヌ・ド・コーモン フロンサック女侯 | アントワネット (-1618) | シャルル・ド・ゴンディ ベル=イスル侯 (レッツ公アルベール・ド・ゴンディ子) | シャルル ソワソン伯 | コンデ公家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイーズ (ソワソン伯シャルル娘) | アンリ2世 (1595-1663) ロングヴィル公 ヌーシャテル侯 サン=ポル伯 | アンヌ・ジュヌヴィエーヴ (コンデ公アンリ2世娘) | レオノール (-1622) フロンサック公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンリ2世 ヌムール公 (サヴォイア家) | マリー (1625-1707) サン=ポル女伯 | ジャン・ルイ (1646-1694) ロングヴィル公 ヌーシャテル侯 サン=ポル伯 | シャルル・パリ (1649-1672) ロングヴィル公 ヌーシャテル侯 サン=ポル伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献
編集- Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln Band III.2 (1983) Tafel 310-311