オルタイ

1680-1745, 清朝の満州人政治家。「百花鳥図」詩

オルタイ満州語ᠣᡵᡨ᠋ᠠᡳ、転写:ortai、漢字:鄂爾泰、拼音: ortai 、康熙16年(1677年) - 乾隆10年(1745年))は、中国代の政治家、大臣、官員。字は毅庵または毅斋

オルタイ
鄂爾泰
鄂爾泰像,台北国立故宮博物院
生年月日 康熙16年(1677年
出生地 清の旗 北京
没年月日 乾隆10年(1745年
死没地 清の旗 北京
称号 三等襄勤伯
配偶者 瓜爾佳氏
喜塔蝋氏(継室)

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経歴

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はじめ満洲鑲藍旗佐領だったが、康熙55年(1716年)、内務府員外郎に任じられ、第四皇子雍親王胤禛(後の雍正帝)の腹心となる。

雍正帝が即位すると、雍正元年(1721年)に江南布政使となり、雍正3年(1725年)には広西巡撫ついで雲南巡撫をつとめ、雍正4年(1726年)には雲貴総督に就任する。

雍正10年(1732年)に保和殿大学士兵部尚書に任じられる。

雍正帝が崩御し、乾隆帝が即位した後も軍機大臣として皇帝を支え続けた。

参考文献

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関連項目

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  • 張廷玉 - オルタイと同時期に活躍した政治家。