オギュスタン・ビジムング
オギュスタン・ビジムング(Augustin Bizimungu、1952年8月28日 - )は、ルワンダ軍の元将軍。1994年に、ビジムングは暫定的に軍の指導者となっていた。このときにルワンダ虐殺を引き起こした兵士やゲリラ(インテラハムウェ)の訓練を行なっていたと告発されている。
オギュスタン・ビジムング Augustin Bizimungu | |
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生誕 |
1952年8月28日(72歳) ルアンダ=ウルンディ ビュンバ県 |
所属組織 | ルワンダ軍 |
最終階級 | 少将 |
除隊後 | ルワンダ虐殺の罪で禁固30年の実刑 |
経歴
編集1952年にビュンバ県で生まれる[1]。
1994年4月6日に、フツ族であるビジムングは旧ルワンダ軍中佐の地位に着く。同日にハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件が発生し、ジュベナール・ハビャリマナ大統領に随行していたデオグラティアス・ンサビマナが死亡したのち、ビジムングは参謀長に就任すると同時に少将に昇進し、軍の指導者となった[2][3]。
2002年4月12日にルワンダ国際戦犯法廷は、アンゴラの反政府組織であるUNITAにて働いているビジムングの逮捕状をとった。2002年8月にアンゴラ政府によって逮捕され、タンザニアでの国連の戦犯法廷にて裁かれた[4]。
出典
編集- ^ “Indictment against Bizimungu”. ICTR. 2016年10月2日閲覧。
- ^ “ICTR press release about Bizimungu”. ICTR
- ^ Dallaire, Roméo. “Ch. 11: To Go or To Stay?”. Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda. pp. 292–293
- ^ “Rwanda's genocide court to try 'big fish'”. Toronto: The Globe and Mail. (2002年8月15日). オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブ。 2008年2月7日閲覧。
- ^ ルワンダ大虐殺、当時の軍幹部に禁錮30年の実刑判決(AFP.BB.NEWS)2011年5月18日07:48
参考文献
編集- ポール・ルセサバギナ『ホテル・ルワンダの男』(堀川志野舞訳、ヴィレッジブックス、2009年) - ビジムングが登場する。