エンリケ・ラミレス
エンリケ・アントニオ・ラミレス(Enrique Antonio Ramirez、1976年8月15日 - )は、ドミニカ共和国出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。台湾プロ野球 (CPBL) での登録名は「拉米瑞茲」。日本プロ野球 (NPB) では育成選手であった。
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | エル・セイボ州 |
生年月日 | 1976年8月15日(48歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 223 lb =約101.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 |
初出場 | CPBL / 2005年3月18日 |
最終出場 | CPBL / 2005年6月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集サンタリータ高校卒業後、1999年にボルチモア・オリオールズに入団。2003年のシーズン途中まで同球団の傘下マイナーでプレーした[1]。退団後は独立リーグであるアトランティックリーグのナシュア・プライドでプレー。
2005年に台湾・中華職業棒球大聯盟の誠泰コブラズに入団。9試合に登板して1勝4セーブを挙げたが、この年限りで退団した[1]。
2006年は、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのモンクローバ・スティーラーズでプレーした。
2007年2月10日、中日ドラゴンズに育成選手として入団した[2]。中継ぎ投手として期待されたが、支配下登録されることなく10月31日に中日を自由契約となった。
その後は再びリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレーし、2010年にレイノサ・ブロンコスに所属したのを最後に現役を引退した[1]。
プレースタイル・人物
編集速球が武器の投手。
中日時代に着けていた背番号222は、2018年に中日の福敬登が背番号234を着けるまで、NPB史上最大の背番号であった。
中日時代は、チームに同姓のサンティアゴ・ラミレスがいたため、新聞上・スコアボード上の表記は「E・ラミレス」となっていた。またサンティアゴとは誕生日が同じでもある。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2005 | 誠泰 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1.000 | 79 | 16.1 | 15 | 1 | 12 | 0 | 2 | 18 | 0 | 0 | 7 | 6 | 3.31 | 1.65 |
CPBL:1年 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1.000 | 79 | 16.1 | 15 | 1 | 12 | 0 | 2 | 18 | 0 | 0 | 7 | 6 | 3.31 | 1.65 |
背番号
編集- 27 (2005年)
- 222 (2007年)
脚注
編集- ^ a b c “Enrique Ramirez Minor, Independent, CPBL, Mexican & Winter Leagues Statistics”. Baseball-Reference.com. 2022年12月2日閲覧。
- ^ “エンリケ ラミレス選手とラファエル クルス選手を育成選手として契約”. 中日ドラゴンズ (2007年2月10日). 2022年12月2日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Enrique Ramirez stats MiLB.com
- 中華職業棒球大聯盟(拉米瑞茲)