エンニオ・ジェレッリ(Ennio Gerelli, 1907年2月12日 - 1970年10月5日[1][2]は、イタリア指揮者作曲家エンリコ・ジェレッリ(Enrico Gerelli)とも表記される。クレモナの生まれ。

ジュリア・サヤーニに音楽の手ほどきを受け、ボローニャのマルティーニ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、ミラノヴェルディ音楽院で作曲を学んだ。 1935年からスカラ座コレペティトゥーアとなり、1940年まで務めた。1937年から1946年までスカラ座附属の舞踊学校のために作曲を行った。 1941年にミラノ・アンジェリクム協会を創設して1953年まで指揮者を務めた。

ルネサンス音楽からバロック音楽の復興に熱心に取り組み、1951年にジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージの《兄に恋した妹》をアンジェリクム協会で上演したり、1959年にボローニャ市立劇場ヘンリー・パーセルの《ディドーとエネアス》を紹介したり、1969年にアレッサンドロ・ストラデッラの《恋愛学校》をナポリのサン・カルロ劇場で上演したりした。亡くなる年にはエクサンプロヴァンスクラウディオ・モンテヴェルディの《タンクレディとクロリンダの戦い》を指揮している。 録音活動も行い、モンテヴェルディの《情け知らずの女たちのバッロ》[3]ジョアキーノ・ロッシーニの《ブルスキーノ氏》[4]などの録音がある。 一方で、1958年にロレンツォ・ペロージのオラトリオ《キリストの復活》をボローニャのサン・ペトロニオ教会で初演するなど、20世紀に作曲された作品にも目を向けていた。

クレモナにて死去。

脚注

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  1. ^ [1]
  2. ^ John L. Holmes, Conductors on record, Greenwood Press, 1982, p.224
  3. ^ Claudio Monteverdi, Il Ballo Delle Ingrate, Emma Tegani. Claudia Carbi. Luigi Sgarro. Ennio Gerelli. Chœurs et Orchestre de Chambre de Milan. Vox. PL 8090.(LP)
  4. ^ Gioacchino Rossini, Il Signor Bruschino, Soloists. Ennio Gerelli. Milan Philharmonic Orchestra. Vox, PL 8460.(LP)