エレノア・オブ・ランカスター
エレノア・オブ・ランカスター(Eleanor of Lancaster, 1318年9月11日[1] - 1372年1月11日)またはエレノア・プランタジネット[2]は、第3代ランカスター伯ヘンリー・プランタジネットとモード・チャワースの五女[3]。
エレノア・オブ・ランカスター Eleanor of Lancaster | |
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エレノアと2番目の夫アランデル伯リチャード・フィッツアラン(18世紀画) | |
出生 |
1318年9月11日 |
死去 |
1372年1月11日(53歳没) イングランド王国、アランデル |
埋葬 | イングランド王国、サセックス、ルイス修道院 |
配偶者 | 2代ボーモント男爵ジョン・ド・ボーモント |
3代アランデル伯リチャード・フィッツアラン | |
子女 |
ヘンリー・ド・ボーモント リチャード・フィッツアラン ジョン・フィッツアラン トマス・アランデル ジョアン・フィッツアラン アリス・フィッツアラン メアリー・フィッツアラン エレノア・フィッツアラン |
家名 | プランタジネット家 |
父親 | 第3代ランカスター伯ヘンリー・プランタジネット |
母親 | モード・チャワース |
最初の結婚
編集エレノアは1330年11月6日に第2代ボーモント男爵ジョン・ド・ボーモント(1342年没)と結婚した[4]。ジョンは第4代バカン伯、初代ボーモント男爵ヘンリー・ボーモント(1288年頃 - 1340年)とその妻アリス・カミン(1289年 - 1349年7月3日)の息子であった。ジョンは1342年4月14日の馬上槍試合で亡くなった。2人の間には1男がおり、ヘントで王妃フィリッパ・オブ・エノーの女官として仕えていたときに生まれた。
- ヘンリー(1340年4月4日 - 1369年7月25日[5]) - 第3代ボーモント男爵。7代オックスフォード伯ジョン・ド・ヴィアの娘マーガレットと結婚し、1男ジョン(第4代ボーモント男爵、1361年 - 1396年)をもうけた。
1341年、エレノアはフィリッパ・オブ・エノーへの奉仕が認められ、国庫から生涯にわたり年間100ポンドを授与された[4]。1344年、エレノアはサンティアゴ・デ・コンポステーラへ巡礼に赴き、財産の管理を代理人に依頼した[4]。
2度目の結婚
編集1345年2月5日、バッキンガムシャーのストーク・ポジズのディットン教会において、第3代アランデル伯リチャード・フィッツアランと結婚した[6]。結婚式にはエドワード3世が出席した[4]。リチャードは、最初にヒュー・ル・ディスペンサーの娘イザベル・ル・ディスペンサーと結婚していた[7]。父ヒューの死刑宣告と処刑以後、イザベルは教皇にとって何ら重要な存在ではなくなったため、教皇の命令によりその結婚は無効となった。教皇クレメンス6世は、その結婚を無効にして子供を庶子とし、不倫関係にあったエレノアとの2度目の結婚に対し特許状を与えた。1345年3月4日付の特免状は、リチャードの最初の妻イザベルと2番目の妻エレノアがいとこ同士(エレノアの母モードとイザベルの父ヒューが異父姉弟)であったため必要とされた。
エレノアの2度目の結婚で以下の子女が生まれた。
- リチャード(1346年 - 1397年) - 第4代アランデル伯。最初にエリザベス・ド・ブーンと結婚し子女をもうけた。次にフィリッパ・モーティマーと再婚したが、子供は生まれなかった。
- ジョン(1349年以前 - 1379年) - 初代アランデル男爵、エレノア・マルトレイヴァースと結婚し子女をもうけた。第6代アランデル伯ジョン・フィッツアランの祖父。
- トマス(1353年 - 1414年) - カンタベリー大司教(1396年、1399年 - 1414年)
- ジョアン(1347/8年 - 1419年4月7日) - 第7代ヘレフォード伯ハンフリー・ド・ブーンと結婚
- アリス(1350年 - 1416年3月17日) - 第2代ケント伯トマス・ホランドと結婚
- メアリー(1396年8月29日没) - 第4代ブラックミアのストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジと結婚
- エレノア(1348年 - 1396年8月29日) - サー・アンソニー・ブラウンと結婚
後年
編集エレノアは1371年1月か1372年にアランデルで亡くなり、サセックスのルイス修道院に埋葬された[4]。夫リチャード・フィッツアランはエレノアの死から4年後に死去し、エレノアの隣に埋葬された。
現在チチェスター大聖堂にある、エレノアと夫の第10代アランデル伯リチャード・フィッツアランの記念像は、フィリップ・ラーキンの有名な詩「アランデルの墓」の題材となっている[8]。
脚注
編集- ^ Burke's Guide to the Royal Family. Burke's Peerage Ltd., London. (1973). p. 196. ISBN 0220662223
- ^ 「プランタジネット」という姓は、歴史的根拠はなく、アンジュー伯ジョフロワ5世とマティルダ皇后の子孫に遡及的に適用されてきた。これは、実際には姓を持たない人々を指す、単に便利な、しかし誤解を招く表現である。ジョフロワ5世の子孫でこの姓を使用した最初の人物は、第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット(イングランド王エドワード4世とリチャード3世の父)で、1448年頃にこの姓を名乗ったようである。
- ^ Leese, Thelma Anna (1996) (英語). Blood Royal: Issue of the Kings and Queens of Medieval England, 1066-1399 : the Normans and Plantagenets. Heritage Books. ISBN 978-0-7884-0525-9
- ^ a b c d e (英語) Magna Carta Ancestry: A Study in Colonial and Medieval Families, 2nd Edition, 2011. Douglas Richardson. ISBN 978-1-4610-4520-5
- ^ Calendar of Inquisitions Post Mortem, 1st series, Vol. 12, No. 321.
- ^ Warner, Kathryn (2018-10-08) (英語). Blood Roses: The Houses of Lancaster and York before the Wars of the Roses. The History Press. pp. 8. ISBN 978-0-7509-9020-2
- ^ Warner, Kathryn (2018-10-30) (英語). Hugh Despenser the Younger and Edward II: Downfall of a King's Favourite. Pen and Sword. ISBN 978-1-5267-1563-0
- ^ Brooke-Hitching, Edward (2023-10-26) (英語). Love; A Curious History. Simon and Schuster. ISBN 978-1-3985-2272-5
参考文献
編集- Fowler, Kenneth. The King's Lieutenant, 1969
- Nicolas, Nicholas Harris. Testamenta Vetusta, 1826.
- Weis, Frederick Lewis. Ancestral Roots of Certain American Colonists Who Came to America Before 1700, Lines: 17-30, 21-30, 28-33, 97-33, 114-31