エルネスト・メヒア
エルネスト・アントニオ・メヒア・アルバラード(Ernesto Antonio Mejía Alvarado, 1985年12月2日 - )は、ベネズエラ・ポルトゥゲサ州グアナレ出身の元プロ野球選手(一塁手)。右投右打。「アーネスト・メヒア」と表記されることもある。
西武時代 (2014年6月27日 西武ドームにて) | |
基本情報 | |
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国籍 | ベネズエラ |
出身地 | ポルトゥゲサ州グアナレ |
生年月日 | 1985年12月2日(39歳) |
身長 体重 |
198 cm 118 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 2002年 アマチュアFA |
初出場 | NPB / 2014年5月15日 |
最終出場 | NPB / 2021年6月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集ブレーブス傘下時代
編集2002年7月8日にアトランタ・ブレーブスと契約。
2005年、ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ブレーブスでプロデビュー。44試合に出場し、7本塁打、22打点、打率.223だった。
2006年はルーキー級ダンビル・ブレーブスで50試合に出場し、4本塁打、25打点、1盗塁、打率.296だった。
2007年はルーキー級ダンビルとA級ローム・ブレーブスでプレー。A級ロームでは36試合に出場し、4本塁打、24打点、2盗塁、打率.307だった。
2008年はA+級マートルビーチ・ペリカンズで131試合に出場し、21本塁打、93打点、2盗塁、打率.274だった。
2009年はA+級マートルビーチ、AA級ミシシッピ・ブレーブス、ルーキー級ガルフ・コーストリーグでプレー。オフにFAとなった。
ロイヤルズ傘下時代
編集2009年12月11日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ。
2010年はAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズで71試合に出場し、11本塁打、48打点、1盗塁、打率.268だった。7月にA+級ウィルミントン・ブルーロックスへ降格。43試合に出場し、5本塁打21打点、打率.288だった。
ブレーブス傘下復帰
編集2010年12月17日にブレーブスとマイナー契約を結んだ。
2011年はAA級ミシシッピで137試合に出場し、26本塁打、99打点、4盗塁、打率.297だった。11月22日に古巣・ブレーブスとマイナー契約で再契約した。
2012年はAAA級グウィネット・ブレーブスで133試合に出場し、24本塁打、92打点、10盗塁、打率.296と好成績を残し、インターナショナルリーグのオールスターチームに選出された[1]。11月2日にブレーブスとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした。
2013年1月25日に2012年度の「International League Rookie of the Year Award」を受賞[2]。3月15日にAAA級グウィネットへ異動した。この年はAAA級で134試合に出場し、28本塁打、83打点、8盗塁、打率.249だった。
2014年2月25日にブレーブスと1年契約に合意[3]、3月26日にAAA級グウィネットへ異動した。開幕後は20試合に出場し、打率.354・7本塁打・24打点の成績を残したが、NPB・埼玉西武ライオンズへの移籍が両球団間で合意に達したため、4月26日にブレーブスとの契約を解除された[4]。
西武時代
編集2014年4月30日に埼玉西武ライオンズへの入団が発表され[5]、5月5日に入団会見を行った[6]。背番号は「99」[6]。5月14日に一軍へ合流し[7]、翌15日の対北海道日本ハムファイターズ8回戦(札幌ドーム)に5番・指名打者で先発起用されると、第1打席で上沢直之から左越えにソロ本塁打を打ち、NPB史上56人目(球団では2011年のライアン・マルハーン以来6人目)となる初打席初本塁打を記録した[8]。106試合の出場で打率.290・34本塁打・73打点・OPS.950を記録し、同僚の中村剛也とともに最多本塁打を獲得。なお同一シーズンに同一球団から複数の本塁打王獲得者が出たのは2リーグ制以降では初[9]。更にシーズン途中入団での本塁打王獲得は史上初。10月7日、球団より2015年シーズンの契約に合意したとの発表が行われた[10]。
2015年は、前年のシーズンオフ中の体重管理を怠ったことと他球団から研究されたことが要因となり、135試合に出場したものの前年に比べて打率を大きく落とし、打率.235・27本塁打・89打点という成績であった。11月18日に再契約を結んだことが発表された[11]。そして前年のように体重管理を怠らないように、球団からオフ中の自主練習風景の動画の撮影及び提出を求められることとなった。また第1回WBSCプレミア12のベネズエラ代表に選出されたが、辞退した[12]。
2016年の3・4月は28試合で打率.315、10本塁打、28打点と活躍し、月間MVPを受賞[13]。この年は自己最多の137試合に出場し、打率.252、35本塁打、103打点と前年の成績を上回った。シーズン中の9月6日には西武と3年総額15億円+出来高で契約を更新した[14][15]。
2017年は不調で8月5日に登録抹消された。7月23日の日本ハム戦の第4打席で二塁打を打ってから、8月17日に一軍再登録されて同24日のソフトバンク戦の第1打席で本塁打を打つまで丸1か月、20打数連続ノーヒットと苦しんだ。この年は113試合の出場で打率.241・19本塁打・53打点の成績、来日後初めて規定打席未到達に終わった。
2018年は、オープン戦で痛めた左手首のケガをおして出場を続けていたが、代打での出場が主だったこともあり82試合の出場に留まり、打率.212・9本塁打・21打点と前年の成績を大きく下回った。シーズンオフに左手首関節鏡視下クリーニング手術を受けた[16]。
2019年はNPB移籍後初めて開幕一軍は逃したものの二軍戦で好調をキープし、ホーム開幕戦から一軍に合流した。4月10日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では球団通算9000号となる本塁打を記録した[17]。9月23日の楽天戦で代打で登場し、決勝打となる走者一掃の二塁打を打った。その後のヒーローインタビューで「チームを救うために地球の反対側から違う国に飛んできている。チームを助けることができて嬉しい」とコメントした[18]。この年は主に代打として出場し、自己最少となる75試合、打率.211、6本塁打、20打点とNPB移籍以降最低の成績にはなったが、得点圏打率.324と勝負強さが光った[19]。また、この年のチームの代打ではメヒア以外は本塁打を打っておらず、それも故あって代打として数多く出場した。10月13日の福岡ソフトバンクホークスとのCSファイナルステージでリック・バンデンハークから本塁打を打った[20]。オフの12月6日に4億3,000万円減となる1億800万円の単年契約でチームに残留することが発表された[21]。
2020年は2年連続で開幕を二軍で迎えたが、7月25日にシーズン初昇格を果たす。8月9日の日本ハム戦で正一塁手の山川穂高が右足首を捻挫し、以降は山川に代わってファーストでのスタメン出場が増えた。8月は月間打率.300、月間OPS1.152と好調だったが、月を追うごとに成績は下降した。最終的には74試合の出場で打率.207、11本塁打、33打点だった。
2021年3月2日に現状維持の1億円(推定)で単年契約を結んだことが球団から発表された[22]。COVID-19流行の影響による入国制限で来日が4月2日となり、4月16日に隔離期間が明けた[23]。4月17日に二軍に合流したものの一時実戦を離れ、5月22日に二軍で実戦復帰した[24]。5月28日に「感染拡大防止特例2021」の代替選手として一軍に昇格した[25]。代打を中心に出場機会を得たが、22打席で12三振と結果を残せず6月29日に登録抹消となった[26]。前半戦終了後の7月15日にアメリカに帰国していたが[27]、コロナ禍で家族が来日できないことが大きな理由となり、球団に退団を申し入れ、球団も了承。7月26日にウェイバー公示の手続きが行われ、退団となった[28][29]。
選手としての特徴
編集規定打席を達成した年は全て出場試合数を超える三振数を記録するなど確実性に欠ける。そのため山川穂高がレギュラーに定着してからはスタメン出場が激減した。
東北楽天ゴールデンイーグルスの抑えの松井裕樹との対戦成績が良く、2019年だけで4打数3安打、3本塁打、5打点、1四球、打率.750、出塁率.800、長打率3.000を記録。NPBに在籍した8年間通算でも24打数10安打、5本塁打、4四球、打率.417、出塁率.500、長打率1.125を記録した[30]。
お立ち台での決め台詞は「メヒアサマサマヤー!」[31]。2016年4月24日の楽天戦、3打席連続本塁打でチームの全打点を叩き出し[32]、ヒーローインタビュー直前にチームメイトからそのセリフを吹き込まれたのがきっかけである。グッズ化もされるなど[33]、ファンがメヒアの活躍時に使うフレーズとして定着している。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014 | 西武 | 106 | 450 | 396 | 56 | 115 | 11 | 1 | 34 | 230 | 73 | 2 | 1 | 0 | 3 | 45 | 1 | 6 | 156 | 4 | .290 | .369 | .581 | .950 |
2015 | 135 | 525 | 473 | 52 | 111 | 31 | 0 | 27 | 223 | 89 | 0 | 0 | 0 | 2 | 45 | 1 | 5 | 153 | 14 | .235 | .307 | .471 | .778 | |
2016 | 137 | 583 | 511 | 73 | 129 | 26 | 0 | 35 | 260 | 103 | 1 | 1 | 0 | 7 | 59 | 4 | 6 | 148 | 15 | .252 | .333 | .509 | .842 | |
2017 | 113 | 388 | 345 | 34 | 83 | 18 | 0 | 19 | 158 | 53 | 1 | 0 | 0 | 2 | 37 | 0 | 4 | 100 | 7 | .241 | .320 | .458 | .778 | |
2018 | 82 | 234 | 212 | 20 | 45 | 7 | 0 | 9 | 79 | 21 | 0 | 0 | 0 | 1 | 18 | 0 | 3 | 62 | 3 | .212 | .282 | .373 | .655 | |
2019 | 75 | 147 | 128 | 13 | 27 | 9 | 0 | 6 | 54 | 31 | 0 | 0 | 0 | 4 | 15 | 0 | 0 | 46 | 2 | .211 | .286 | .422 | .708 | |
2020 | 74 | 260 | 237 | 20 | 49 | 13 | 1 | 11 | 97 | 33 | 0 | 0 | 0 | 1 | 20 | 1 | 2 | 82 | 5 | .207 | .273 | .409 | .682 | |
2021 | 16 | 22 | 21 | 1 | 3 | 2 | 0 | 1 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 12 | 0 | .143 | .182 | .381 | .563 | |
通算:8年 | 738 | 2609 | 2323 | 269 | 562 | 117 | 2 | 142 | 1109 | 406 | 4 | 2 | 0 | 20 | 240 | 7 | 26 | 759 | 50 | .242 | .317 | .477 | .794 |
- 2021年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
編集年 度 |
球 団 |
一塁 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2014 | 西武 | 94 | 757 | 63 | 4 | 55 | .995 |
2015 | 123 | 921 | 71 | 5 | 72 | .995 | |
2016 | 93 | 789 | 69 | 6 | 75 | .993 | |
2017 | 73 | 624 | 44 | 7 | 55 | .990 | |
2018 | 2 | 9 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | |
2019 | 1 | 5 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | |
2020 | 60 | 516 | 41 | 5 | 44 | .991 | |
通算 | 446 | 3621 | 292 | 27 | 303 | .993 |
- 2021年度シーズン終了時
タイトル
編集- NPB
- 本塁打王:1回(2014年)
表彰
編集- NPB
記録
編集NPB
編集- 初記録
- 初出場・初先発出場:2014年5月15日、対北海道日本ハムファイターズ8回戦(札幌ドーム)、5番・指名打者で先発出場[8]
- 初打席・初安打・初打点・初本塁打:同上、2回表に上沢直之から左越ソロ ※NPB史上56人目の初打席初本塁打[8]
- 初盗塁:2014年8月5日、対福岡ソフトバンクホークス13回戦(西武ドーム)、6回裏に二盗(投手:ジェイソン・スタンリッジ、捕手:細川亨)
- 節目の記録
- 100本塁打:2017年5月4日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、4回表にリック・バンデンハークから左中間越2ラン ※史上281人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回(2016年)
背番号
編集- 99(2014年5月7日 - 2021年8月2日)
登場曲
編集- 「Perros Salvages」ダディー・ヤンキー(2014年‐2015年)
- 「Pa' Tras y Pal Frente ft. Jory Boy & Cosculluela」Pusho(2016年)
- 「Gasolina」ダディー・ヤンキー(2018年 - 2021年)
脚注
編集- ^ Andrew Pentis (June 27, 2012). “IL roster set for July 11 All-Star Game”. MiLB.com. April 27, 2014閲覧。
- ^ Dave Lezotte (January 25, 2013). “Mejia Captures IL Rookie of the Year Award”. MiLB.com. April 27, 2014閲覧。
- ^ “Atlanta Braves agree to terms with 19 players”. MLB.com Braves Press Release (February 25, 2014). April 27, 2014閲覧。
- ^ “First Baseman Ernesto Mejia Released from Braves Roster”. MLB.com Braves Press Release (April 26, 2014). April 27, 2014閲覧。
- ^ “新外国人選手獲得のお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト. 埼玉西武ライオンズ (2014年4月30日). 2014年4月30日閲覧。
- ^ a b “エルネスト・メヒア選手 入団会見”. 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト. 埼玉西武ライオンズ (2014年5月5日). 2014年5月5日閲覧。
- ^ “西武新外国人メヒア15日1軍デビュー”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2014年5月14日) 2014年5月14日閲覧。
- ^ a b c 為田聡史 (2014年5月16日). “メヒア初打席弾も西武乗れず4連敗”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社) 2014年5月16日閲覧。
- ^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2014年10月20日、97頁。
- ^ “来季の外国人選手契約について”. 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト. 埼玉西武ライオンズ (2014年10月7日). 2014年10月7日閲覧。
- ^ “郭投手およびメヒア選手との2016年選手契約についてのお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト (2015年11月18日). 2015年11月27日閲覧。
- ^ “メヒアが西武愛、プレミア12ベネズエラ代表辞退へ”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2015年10月5日) 2015年11月27日閲覧。
- ^ “メヒア選手が3・4月度「日本生命月間MVP賞」初受賞!”. 埼玉西武ライオンズ (2016年5月10日). 2016年11月15日閲覧。
- ^ “メヒア選手との来季選手契約について”. 埼玉西武ライオンズ (2016年9月6日). 2016年9月6日閲覧。
- ^ “西武メヒア残留 3年15億+出来高で大筋合意”. 日刊スポーツ (2016年9月6日). 2016年11月15日閲覧。
- ^ “西武 メヒアの手術成功を発表 復帰まで約3カ月”. スポニチ Sponichi Annex (2018年11月8日). 2021年6月17日閲覧。
- ^ “西武メヒアが球団9000号「名前残せてうれしい」”. 日刊スポーツ (2019年4月10日). 2020年2月29日閲覧。
- ^ “西武メヒア「チームを救うために地球の反対側から来ている」値千金の決勝打”. Full-Count (2019年9月23日). 2020年2月29日閲覧。
- ^ “代打?それともスタメン? 気になる西武・メヒアの起用法”. BASEBALL KING (2019年10月9日). 2020年2月29日閲覧。
- ^ “西武、メヒアの豪快一発で1点差「とにかくあきらめずに戦っていくだけ」”. Full-Count (2019年10月13日). 2020年2月29日閲覧。
- ^ “西武 メヒアと4億3000万円減で再契約「必要な戦力ということでオファー」と渡辺GM”. 東京スポーツ (2019年12月6日). 2021年8月1日閲覧。
- ^ “西武がメヒアと契約延長 今季は来日8年目”. サンスポ.com (2021年3月2日). 2021年3月31日閲覧。
- ^ “西武、助っ人勢が続々合流へ メヒア、スパンジーが23日有力 ニール、ダーモディは2軍で2度登板後”. スポニチアネックス (2021年4月16日). 2021年4月28日閲覧。
- ^ “西武辻監督、守護神増田&大砲メヒアの1軍合流は?”. 西日本スポーツ. (2021年5月24日) 2021年5月24日閲覧。
- ^ “西武が大量14選手入れ替え 「特例2021」で コロナ感染の源田ほか、金子、木村ら抹消”. Sponichi Annex. (2021年5月28日) 2021年5月28日閲覧。
- ^ “西武メヒアが出場選手登録外れる 今季16試合で1本塁打”. 西日本スポーツ (2021年6月29日). 2021年6月29日閲覧。
- ^ “西武ギャレット、スパンジェンバーグ、メヒアが一時帰国”. 日刊スポーツ (2021年7月14日). 2021年8月1日閲覧。
- ^ “ウエイバー公示申請についてのお知らせ|埼玉西武ライオンズ”. 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト (2021年7月26日). 2021年7月26日閲覧。
- ^ “西武愛あふれるメヒア電撃退団…長引くコロナ禍が変えた「単身赴任」という家族の形”. 東京スポーツ (2021年7月26日). 2021年8月1日閲覧。
- ^ “なぜ、メヒアは松井裕樹をあれだけ打てたのか? 3打席の詳細から理由を探る” (jp). パ・リーグ.com. 2020年2月29日閲覧。
- ^ “西武、ついにM2! "代打の神様"メヒアが決勝打「メヒアサマサマヤー」”. Full-Count (2019年9月23日). 2021年8月1日閲覧。
- ^ “西武メヒア史上初「肩書付き」3連発ひとりで7打点”. 日刊スポーツ. (2016年4月25日) 2021年6月18日閲覧。
- ^ “【西武】メヒアの「さまさまや!」グッズが販売開始”. BASEBALL KING. (2016年6月1日) 2021年6月18日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Ernesto Mejia stats - MiLB.com
- 個人年度別成績 E.メヒア - NPB.jp 日本野球機構