エリー・ドゥカズ
初代ドゥカズ公爵(ドゥカズ伯爵から陞爵)、初代グリュックスボー公爵エリー・ルイ・ドゥカズ(Élie Louis Decazes, 1788年9月28日 - 1860年10月24日)は、フランスの王党派政治家。
初代グリュックスボー公 エリー・ドゥカズ Élie Decazes | |
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第4代フランス首相 | |
任期 1819年11月19日 – 1820年2月20日 | |
君主 | ルイ18世 |
前任者 | ジャン=ジョセフ・マークイ・デソル |
後任者 | アルマン・エマニュエル・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ |
個人情報 | |
生誕 | 1788年9月28日 フランス王国・ギュイエンヌサン=マルタン=ド=レー |
死没 | 1860年10月24日(72歳没) フランス帝国・パリ |
配偶者 | エリザベート・フォルテュネ・ミュレール(Elisabeth-Fortunée Muraire) ヴィレルミーヌ・ド・サン=トレール(Wilhelmine de Saint-Aulaire) |
子供 | ルイ フレデリック アンリエット |
署名 |
略歴
編集穏健な政策をとり、極端に走ることは避けたフランス復古王政期の首相である。1818年、デンマーク王フレゼリク6世によってデンマーク貴族グリュックスボー公爵(hertug af Glücksborg)の称号を授けられた。これはエリーの2度目の妻ヴィレルミーヌがナッサウ=ザールブリュッケン公ヴィルヘルム(en)の子孫であった縁からである。ヴィレルミーヌの伯母であるアンナ・カロリーネはスレースヴィ=ホルステン=セナーボー=グリュックスボー公フレゼリク・ヘンリク(da)の未亡人で、子が授からず、姪ヴィレルミーヌの後見を務めていた。アンナ・カロリーネは姪のために、当時伯爵でフランス貴族であったドゥカズとの良縁を望んだ。そして姪の将来の配偶者に公爵の称号が得られるよう、デンマーク王に働きかけたのである。
1820年2月、アルトワ伯(後のシャルル10世)の次男ベリー公シャルルが暗殺された事件を契機に失脚した。
1822年2月20日にフランス貴族ドゥカズ公爵(Duc Decazes)となった。
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