エリナー・オブ・ウッドストック
イングランド王エドワード2世と王妃イザベラ・オブ・フランスの長女
エリナー・オブ・ウッドストック(Eleanor of Woodstock, 1318年6月18日 - 1355年4月22日)は、イングランド王エドワード2世と王妃イザベラ・オブ・フランスの長女。ゲルデルン(ヘルレ)公ライナルト2世の2番目の妻となった。
エリナー・オブ・ウッドストック Eleanor of Woodstock | |
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出生 |
1318年6月18日 イングランド王国、オックスフォードシャー、ウッドストック宮殿 |
死去 |
1355年4月22日(36歳没) ゲルデルン、デーフェンター修道院 |
埋葬 | ゲルデルン、デーフェンター修道院 |
配偶者 | ゲルデルン公ライナルト2世 |
子女 |
ライナルト3世 エドゥアルト |
家名 | プランタジネット家 |
父親 | イングランド王エドワード2世 |
母親 | イザベラ・オブ・フランス |
生涯
編集オックスフォードシャーのウッドストック宮殿で生まれた。洗礼名は父方の祖母エリナー・オブ・カスティルにちなむ。1324年、母イザベラが渡仏するのと前後して、妹ジョーンとともに従姉で若ディスペンサーの妻であるエリナー・ド・クレアに預けられた。1325年にカスティーリャ王アルフォンソ11世との縁談が持ち上がったが、実現しなかった。1330年、父を死に追いやった母と和解した。1332年、母の従妹のエノー伯爵夫人ジャンヌ・ド・ヴァロワの仲立ちにより、ゲルデルン公ライナルト2世に嫁いだ。ライナルトには最初の妻ソフィー・ベルソーとの間に娘しかおらず、エリナーは男子を産むことを期待された。公爵夫妻は間に2人の息子をもうけた。
両親の不和を原因とする不幸な幼少期が災いしてエリナーは精神的に不安定であり、ライナルト2世は彼女を疎ましく思うようになった。ライナルトは1338年、エリナーに癩病に罹ったという難癖を付けて彼女を宮廷から追放した。さらに婚姻を解消しようとしたが、ライナルトは1343年に事故死した。夫の死後、宮廷に戻ったエリナーは幼い息子ライナルト3世の摂政を務めようとしたが、失敗に終わった。さらに成長した息子と不仲となって寡婦領を没収され、経済的苦境の中、身を寄せていたシトー会の修道院で没した。
参考文献
編集- Mary Anne Everett Green, Lives of the Princesses of England: from the Norman Conquest (1849–1855)
- Alison Weir, Isabella the she wolf of France (2006)