エミリアーノ・メルカド・デル・トロ
エミリアーノ・メルカド・デル・トロ(Emiliano Mercado del Toro、1891年8月21日 - 2007年1月24日[1])は、生年月日と死亡年月日が確かな男性のうち、木村次郎右衛門とクリスチャン・モーテンセンに次いで史上3番目に長生きしたとされるプエルトリコの男性。
エミリアーノ・メルカド・デル・トロ Emiliano Mercado del Toro | |
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生誕 |
1891年8月21日 プエルトリコ総督領・カボ・ロッホ |
死没 |
2007年1月24日(115歳没) プエルトリコ イサベラ |
住居 | プエルトリコ |
国籍 | プエルトリコ |
著名な実績 | プエルトリコ歴代最高齢者 |
2004年11月19日以降男性長寿世界一、2006年12月11日以降は男女含めて長寿世界一だった。死去の時点ではモーテンセンに次ぐ男性歴代2位の記録をもっていた。また男女を含めたプエルトリコの歴代最高齢者である。中部アメリカの人物としてもヴァイオレット・ブラウンに次ぐ歴代2番目の長寿者である。
略歴
編集1891年8月21日、プエルトリコ総督領のカボ・ロッホに生まれる。81歳まで農夫として働いていた。結婚したことは無く、子供はいなかった[2]。ただ、3人ほど好きな人はいたと言われている[3]。1898年に起こった米西戦争の時の出来事を鮮明に記憶していたという。茹でたトウモロコシ、鱈、牛乳が好物だったという。アメリカ陸軍が第一次世界大戦のため1918年10月に彼を徴兵したが、その後わずか1か月で休戦協定が結ばれる。当時はパナマの訓練キャンプにいたため、戦闘を行うことはなかった[4]。その後の1993年にビル・クリントンから第一次世界大戦休戦75周年を記念したメダルを授与される。102歳の頃に転倒し、当時85歳の姪と共に引っ越しを行う[5]。その後は甥とその家族と暮らしていた。家族からは「ティオ・ミロ」(ミロおじさんとも)と呼ばれていた。
114歳の時点では視力や聴力に難があったものの、女優のアイリス・チャコンの来訪に喜んだという。チャコン自身もエミリアーノの訃報について、「自分の祖父を失ったような気がする。」と語っている。
2007年1月24日に死去。115歳156日没。長寿世界一の人物はアメリカ合衆国の女性エマ・ティルマン、長寿世界一の男性は日本の田鍋友時となった[5]。
長寿記録
編集その他
編集2003年11月6日に1892年生まれの男性最後の生き残りであったスウェーデンのアンダス・エディバーグが死去、3年後の2006年4月25日には1893年生まれ最後の生き残りであったマクシミアーノ・ジョゼ・ドス・サントスの死去、同年12月には1894年生まれ最後の生き残りだったモセス・ハーディが死去したことによって、次の男性世界最高齢であった田鍋友時とはおよそ4年の差がついていた。
外部リンク
編集- 世界最高齢の人物、115歳で死去 - BBC NEWS(英語)
- 世界最高齢の男性死去 - ギネス・ワールド・レコードのニュースリリース(英語、PDF、オリジナルの2007年2月7日時点でのアーカイブ)
出典
編集- ^ “Emiliano Mercado del Toro” (英語). Gerontology Wiki. 2022年1月7日閲覧。
- ^ “世界最高齢の男性、115歳で死去…世界一は米女性に”. Yahoo!ニュース. 読売新聞. (2007年1月25日). オリジナルの2007年1月27日時点におけるアーカイブ。 2022年8月19日閲覧。
- ^ Jerry Friedman (2005/10/1). Earth's Elders: The Wisdom of the World's Oldest People. Earth's Elders; 1st edition. p. 210. ISBN 978-0976910800
- ^ Goodnough, Abby (2003年12月26日). “Man Who May Be Oldest Living Veteran Tells Some” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2022年1月7日閲覧。
- ^ a b “Emotivo adiós a don Emiliano”. endi.com (2007年1月26日). 2007年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月7日閲覧。
- ^ “Elizabeth Bolden, 116; was world's oldest person” (2006年12月12日). 2007年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月7日閲覧。
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