エミリアーノ・フルート

エミリアーノ・リカルド・フルート(Emiliano Ricardo Fruto、1984年6月6日 - )は、コロンビアボリーバル県カルタヘナ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

エミリアーノ・フルート
Emiliano Fruto
基本情報
国籍  コロンビア
出身地 ボリーバル県カルタヘナ
生年月日 (1984-06-06) 1984年6月6日(40歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 アマチュア・フリーエージェントとしてシアトル・マリナーズと契約
初出場 2006年5月14日
最終出場 2006年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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プロ入りとマリナーズ時代

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シアトル・マリナーズ時代
(2006年6月10日)

2000年シアトル・マリナーズと契約してプロ入り。2001年は開幕を傘下のルーキー級アリゾナリーグ・マリナーズで迎えた。この年は、12試合に先発登板し、5勝3敗・防御率5.84・51奪三振を記録した[1]

2002年は開幕をA級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズで迎えた。この年は、33試合(13試合で先発)に登板し、6勝6敗1セーブ・防御率3.55・99奪三振を記録した[1]

2003年は開幕を、A+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズで迎えた。ここでは、42試合(4試合で先発)に登板し、7勝8敗7セーブ・防御率3.78・83奪三振を記録した[1]。その後、AAA級タコマ・レイニアーズに昇格した。ここでは、1試合に登板した[1]

2004年は開幕をAA級サンアントニオ・ミッションズで迎えた。この年は、43試合(1試合で先発)に登板し、3勝3敗1セーブ・防御率5.66・56奪三振を記録した[1]

2005年は前年同様に開幕をAA級サンアントニオで迎えた。ここでは、40試合に登板し、2勝3敗12セーブ・防御率2.56・63奪三振を記録した[1]。その後、AAA級タコマに昇格した。ここでは、9試合に登板し、1勝2敗・防御率13.09・12奪三振を記録した[1]

2006年は開幕をAAA級タコマで迎えた。5月14日ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦でメジャーデビューを果たした。この年は、メジャーでは、23試合に登板し、2勝2敗1セーブ・防御率5.50・34奪三振を記録した。マイナーでは、AAA級タコマで28試合に登板し、1勝3敗10セーブ・防御率3.18・55奪三振を記録した[1]

ナショナルズ傘下時代

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2006年12月13日ホセ・ビドロとのトレードで、クリス・スネリングと共にワシントン・ナショナルズへ移籍した。

2007年は開幕を傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズで迎えた。ここでは、18試合(16試合で先発)登板し、3勝9敗・防御率5.26・68奪三振を記録した[1]

ダイヤモンドバックス傘下時代

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2007年8月20日クリス・カーターとのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した(後日指名選手ウィリー・モー・ペーニャがナショナルズへ移籍している)。移籍後は、傘下のAAA級ツーソン・サイドワインダーズ(現:リノ・エーシズ)へ異動した。ここでは、6試合に登板し、0勝1敗・防御率2.45・14奪三振を記録した[1]

2008年は開幕をAAA級ツーソンで迎えた。ここでは、49試合(4試合で先発)登板し、6勝6敗2セーブ・防御率5.2・102奪三振を記録した[1]。オフにFAとなった。

独立リーグ時代

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2009年1月にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。開幕前に解雇される。その後、ゴールデンベースボールリーグユマ・スコーピオンズ(現:ユマ・デザート・ラッツ)と契約を結んだ。このチームには、後の第3回WBC予選のコロンビア代表に選出される事になるクリスチャン・メンドーサロナルド・ラミレスイェシド・サラザールイスマエル・カストロディオベル・アビラコロンビア人選手が多く所属していた[2]。ここでは、16試合に登板し、0勝2敗11セーブ・防御率2.00・23奪三振を記録した。

2009年シーズン途中に同リーグのツーソン・トロズへ移籍した。ここでは、19試合に登板し、0勝2敗10セーブ・防御率4.58・31奪三振を記録した[1]

2010年は、41試合に登板し、5勝4敗17セーブ・防御率2.15・72奪三振を記録した[1]

2011年は、アメリカン・アソシエーションスーシティ・エクスプローラーズと契約を結んだ。6月9日に退団した。

メキシカンリーグ時代

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2011年シーズン途中にメキシカンリーグタバスコ・キャトルメンと契約を結んだ[3]。ここでは、20試合に登板し、防御率4.03・31奪三振を記録した[1]。その後。退団した。

独立リーグ時代

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2011年7月にスーシティ・エクスプローラーズに復帰した。

2012年は、どこのチームにも所属しなかった。

2013年に、アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュと契約を結んだ。この年は、33試合に登板し、1勝3敗・防御率3.58・46奪三振を記録した[1]

2014年は、6試合に登板し、0勝0敗、防御率8.10の成績だった[1]。この年限りで現役を引退した。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2006 SEA 23 0 0 0 0 2 2 1 1 .500 165 36.0 34 4 24 1 2 34 4 0 24 22 5.50 1.61
MLB:1年 23 0 0 0 0 2 2 1 1 .500 165 36.0 34 4 24 1 2 34 4 0 24 22 5.50 1.61

背番号

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  • 53 (2006年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Baseball Reference (Minors)
  2. ^ 2009 Yuma Scorpions Baseball Reference 2015年2月1日閲覧
  3. ^ Greetings from the RailCats' series finale against Sioux City Post-Tribune. Michael Osipoff (2011年6月9日) 2015年1月27日閲覧

関連項目

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外部リンク

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